ヘイターというビジネス

情報発信ビジネスの民主化

インターネットが情報検索や情報発信の手段を変えたことに疑いの余地はありませんが、またインターネットが情報によって稼ぐ手段を変えたことも確かでしょう。ブログなどを利用すれば今や誰でも情報を簡単に発信できますし、その上でGoogle AdSenseや各種のアフィリエイトプログラムを活用することで簡単に稼ぐことができます。

たとえばマスメディアの時代ではテレビや雑誌で「社畜と家畜の共通点」というような他愛のない与太話を披露する機会があったとして、その結果、仕事を干されれば終わりです。しかしネットメディアの時代では書き手のモラル次第で飽きるまでそのような与太話を続けることができますし、PVがついてこようものなら、それをビジネスとして継続することさえできます。

もちろん手段があったところで、実際に金を稼ぐというのはなんにしても簡単なことではありません。それでもブログとアフィリエイトの組み合わせは時として想像以上に強力なビジネスとなることがあり、たとえば痛いニュースのようなヘイトスピーチが日本を代表するブログビジネスとして君臨していることを我々は常に肝に命じておく必要があります。

また、最近ではNAVERまとめのように情報発信ビジネスの敷居をさらに下げる仕組みも登場しており、ブログが情報発信そのもの民主化であったなら、今や情報発信がビジネスとして民主化されていると言えるでしょう。

収益性のあるコンテンツとしてのデマ、炎上、ヘイトスピーチ

このような環境において、人はどのような情報を発信して稼ぐのでしょうか。もちろん冬の井戸のように深く静かな洞察に満ちた、中立でありながら刺激的、公正でありながら示唆的、時として抱腹絶倒、快刀乱麻のコンテンツが期待されるわけですが、実際に手っとり早くPVが稼げるコンテンツはデマや炎上、ヘイトスピーチであります。なぜならデマや炎上、ヘイトスピーチには洞察も中立性も、まともな言語的素養さえ不要だからです。

PV至上主義というのは、本文が悲惨な出来であったとしても要はクリックさえあればいいわけですから、むしろ本文が悲惨であればあるほど広告などへの誘導が速やかに行われる可能性もあるわけで、思わず目を剥くような釣りタイトルさえ思い浮かべば、あとは他人のツイートを切ったり貼ったり、あるいはブックマークが増えるような攻撃的な文章を加え、東に注目されるサービスや企業があればイチャモンをつけてフリーライドし、西に不用意な発言があれば親の仇とばかりに叩いて炎上を煽り、また適当なコンテンツが見つからない場合は自分の不遇を嘆き周囲はバカばかりと自らの身に火をつければいいのであります。

炎上がPVになり、金になるという事実を前に、自らを炎上させ続ければ良いと気付いたイケダハヤト氏は稀代のビジネスパーソンと言えるでしょう。

ヘイターというビジネス

突然話は変わりますが、筆者が愛するヒップホップの世界では、多くのリリックにおいて「成功した俺」と「文句ばっかりしているお前」という構図が設けられ、後者をヘイターと呼びます。なぜCDを買った筆者に対してラッパーが「お前はいつも口ばかり」というようなライムを聞かせるのか、時に理解に苦しむこともありますが、立身出世と下剋上の激しいヒップホップの世界では、成功者の影には数多くのヘイターがいることなのでしょう。

急いで本題に戻りますと、今のネットメディアにもこうしたヘイターが有象無象に存在し、おそろしいことに、それがビジネスとなっています。PVをカネに換金できる以上、どのような手段であってもPVを稼ごうとする人間がいることを忘れてはいけません。もちろん、そのような釣り記事、デマ記事、ヘイト記事、焼身記事はクリックしなければ良いのですが、おおよそ人の心というのは弱いものであり、自分の愛するものが「〜は終わった」などと書かれるとクリックしてしまうものです。

アーキテクチャによる解決

筆者はそろそろアーキテクチャによる解決が必要であろうと考えます。すなわち、はてなブックマークのような送客サービスは中立性を捨ててでも、釣り記事やデマ記事に対して、注目エントリに掲載しないなどのペナルティをとるべきでしょう。デマを拡散させる「まとめ主」のアカウントはすみやかに凍結すべきでしょう(余談ですが、デマや炎上の拡散に貢献し、対抗措置をとらないTogetterを筆者は今世紀で最悪のサービスと捉えております)。

また、大元の資金源となるアフィリエイトサービスにおいては、釣り記事を量産するメディアを審査し、時としてアカウントを停止させるような措置が求められるでしょう。あるいは良質なコンテンツを発掘する際に、ただブックマークが多いから、多くのTweetが紐づいているからというような、アルゴリズム依存の発想から脱却し、より個人の審美眼に依存した、いわば編集作業が求められるのかもしれません。

もちろん、これらは手間のかかる作業であり、簡単なことでありません。このような仕組みが作られたとしても、メールサービスがスパマーと戦い続けているように、ヘイターとの長く苦しい戦いが待ち構えている可能性があります。もしかすると結果として次代のインターネットは、ヘイターとは縁遠い、非言語的メディアが担っていくのかもしれません。

こうして考えると、一種のキュレーションサービスであるGunosyが、その検閲的行為において炎上しているというのは、実に皮肉なことです。筆者ははじめ、Gunosyのようなパーソナルなサービスが、なぜアルゴリズムの出来うんぬんについて批判されることがあるのか疑問でした。アルゴリズムに不満があるのであれば利用しなければ良いのです。しかし、こうした批判がNAVERまとめというPVがカネになるサービス上で展開されたことに、ビジネスとしてのヘイターの存在を感じずにはいられません。

(もちろん、世の中は広いですから、本当に新興サービスのアルゴリズムの出来不出来に対して憤りを感じる人がいたとしても不思議ではありませんし、PVがカネにならない状況においても、PVそのものをある種の戦闘力、生きがいの尺度として利用している人がいることも事実ではあります)

筆者はGunosyの熱心なユーザではありませんが、今回のいわれなき批判を受けて、むしろ編集行為の重要性に気付き、ヘイターの記事を拡散させることの恐ろしさが、サービスの向上に反映されればと期待しております。

気の効いた小見出しが見つからない

また精神論に回帰してしまいますが、たとえばハフィントン・ポストの日本版がローンチした数時間以内に「ハフィントン・ポストは失敗する」という挑発的な、かといって読んでみると特に中身のない、ただ赤子を棒で打つことでPVを集めることだけを目的としたような非紳士的行為がまかり通る、それでいて「始まったばかりの段階で成功や失敗を語ることがあまり意味がないことは分かっている。サイト開設準備は大変で、予定通りローンチしたスタッフの皆さんには敬意を評したい」などと逃げを打つことは忘れない、いっそ「Yahoo!ニュース個人に歯向かう新参は死ね」くらいのタイトルであったほうがプロレス的興味があったはずの、いずれにしても良心ともジャーナリスト的価値とも程遠い記事が、クリックを稼ぐというビジネスバリューを追及した結果として今日のインターネットに蔓延している恐ろしさを、より強く意識する必要があると思います。

あわせて蛇足ではありますが、Gunosyの騒動にかこつけて、例の不出来な公式発表を、特に頼まれてもいないのに改善しておりましたnanapi代表のけんすう氏におきましては、自身のデマ記事に対してもどうか同程度に良心的な声明を発表されることを願います。

60 リアクション


小関悠のサバイバルキットをお届けします

(前段略)サバイバルキット、いいと思います。4000円相当のセレクトアイテムが5000円で届く。儲かるのかしらと不安になるくらいです。

そこで私も時流に乗り、手製のサバイバルキットを皆様にお届けすることにしました。ただ、会員登録やら梱包やら考えるのが面倒なので、今月号の中身をここに公開いたします。皆様ご自由にご注文ください。名声も人脈もありませんので、予算は控え目に1500円としております。どうぞご利用ください。


1.文学「城」カフカ

サバイバルな文学と言えば個人的にはカフカです。「城」は測量士の主人公が城で仕事を頼まれてるのに、色々トラブルがあって城に入れない(ネタバレ)という、なんとも愉快なドタバタコメディー。目的地が見えているのに辿りつけない。物事を進めたいのに進まない。実に現代的なテーマです。

私は大学生のころ、インテリぶるために古典文学をいろいろと手に取りましたが、笑いながら最後まで読めたのはカフカぐらいではなかったかと記憶しています。

幸いにも青空文庫で公開されていますので、これは無料で読めます。Kindle版もあります。


2.音楽「Hi Custodian」Dirty Projectors

良い文学には良い音楽が欲しいところです。Dirty Projectorsはニューヨークを拠点にするロックバンド。キャッチーなメロディと変則的なリズム、美しい多重コーラスが魅力的です。「Hi Custodian」は最新アルバム「Swing Lo Magellan」からの曲を引用しながら作られた20分に及ぶミュージックビデオ。「死にそう〜、死にそう〜」と歌うシングル曲「About to die」がいいですね。

しかしPitchforkは今や並ぶところのない音楽レビューメディアなのに、こんな各アーティストのプロモーションなどやっていていいのでしょうか。


3.ドラマ「Push to add drama」TNT

息抜きに、去年のカンヌ受賞作から。サバイバルな状況が、外側から見られることでドラマに転化するという、コマーシャルの意図と中身がぴったりとあったところが素晴らしいです。


4.スレッド「会話にm-floが介入するスレ」

もう一つ息抜きを。私は人生に疲れたときに読むスレが幾つかありますが、これはその一つです。


5.コラム「ケヴィン・ケリー著作選集 1」

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ケヴィン・ケリーはWIREDで編集長だった人。デジタル時代のトレンドを大風呂敷を広げながら語らせたら天下一品です。サバイバルキットビジネスそのものの「千人の忠実なファン」などはすでに古典と言える内容なので、サラリーマンな方もノマドな方も「ケリーのほうのケヴィンが言ってますけど」とプレゼンに箔をつけるにはぴったり。ネット分野では有名な著作でさえひどい翻訳で原文の意図をぶち壊しにする訳者が多いなか、堺屋七左衛門氏の丁寧な翻訳は本当に素晴らしいです。

電子書籍として無料配布されており、ダウンロードには会員登録 が必要です もいりません。ちなみに紙の本もCreative Commonsライセンス付きで販売されています。


6.プレゼン「ワーク・ライフバランスの実現」ナイジェル・マーシュ

タイトルそのまま、ワーク・ライフバランスについて語ったTEDでのプレゼンテーション。生活のバランスを企業の手に委ねてはいけない、という簡潔なメッセージが痛快です。


7.書籍「情報中毒社会サバイバルガイド」小関悠

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ネットサバイバル時代の予言書。これを書くのは二年早かったなーと思いました。オチに持ってきましたが、Amazonでは在庫が1冊しかありませんし、そもそも転職したのでもう印税も入りません。でも読んでね。1470円。


というわけで今月は以上の内容をお届けします。もうやりません。

21 リアクション


2013年5つの予言:テレパシーの普及、アップルはテレビを作る、ほか

私はかつてリサーチャーとして新聞やビジネス誌に「未来はこうなる(ドヤッ)」みたいな記事をときどき寄稿したものだが、今になって振り返ってみると控え目だったというか、妄想力が低いというか、まあそうなるよねという予測を、めいっぱい根拠をつけて書いたものが多かった(iPhone 5はLTEが鍵になる、とか)。まあ、それがシンクタンクのリサーチャーというものに求められている役割なのだろう。

幸か不幸かリサーチャーではなくなり、原稿を書くこともめっきり減ってしまった。というわけでリハビリがてら、今回は「2013年はこうなる」予測記事を書くことにする。根拠少なめ、妄想多め。全部当たったら、今後はアルファ予言ブロガーとして生きていきます。

テレパシーの普及

グーグルのメガネ端末Google Glassが発表されたとき、ウェアラブル・コンピューティングの幕開けだとか、Augumented Realityの時代が来たとか騒がれたが、私はこれはテレパシー端末になると感じた。つまりいつでも誰かと繋がって、呼吸をするように簡単にコミュニケーションができるというものである。

世の中には通話無料アプリを延々と繋いで、特に何を話しあうわけでもなく、互いの空気感を伝えるのを楽しむ人達がいるという。これはかなりテレパシーに近い。LIN……メッセージングアプリで一日に何十通もやりとりをしている若者は、もういっそウェアラブルに直接呼びかけるようなボイスチャット式にしたほうが簡単じゃないか、と思うかもしれない。私には理解できないが、おおむね未来とは私には理解できないものである。

この予測には個人的な根拠もある。気付けば私はオッサンと呼ばれる年齢に差し掛かっており、若者のやることをウザイと思いはじめるころだ。幸い、私はまだ若者の言動を見てもウザイと思うことはない。しかしテレパシーが普及して、みんなが私のウェアラブルにいつでもどこでも呼びかけてくるようになったら、かなりウザイだろう。電車の中でウェアラブル端末をつけている若者がいたら、たとえ小声で誰かに話かけたり、視線で文字入力をしたりしていなくても、なんだかウザイ感じがするだろう。

しかし未来はオッサンがウザイ方向に進むのである。

ビッグヘッドの時代

若者はテレパシーでなにを伝えるのだろうか。内容を予測することは難しいが、皆が同じようなことを伝えるのではないか。まとめサイトのキュレーションのまとめページのリコメンドが先鋭化した結果、人々が読んで聞いて楽しむものは、かつてなく画一化される恐れがある。これはインターネット上の情報やウェブサービスの人気に限らず、テレビ番組、おやつ、ファッション、旅行先、スポーツといったものの多くにおいて、ごく一部だけが成功し、多くは見向きもされなくなる。ロングテールの反対、ビッグヘッドである。

最悪の場合、パーソナライゼーションはビッグヘッドをそれらしく並べかえただけのものになる。Web 2.0で花開いたハイアマチュアのコンテンツ発信というトレンドは、ほぼ消える可能性がある。

私はこの予言が外れることを心から願っている。そのために必要なのは、意図的に他人へ目を向けなくするためのシステム、あるいは自分とは違う人と繋がるためのシステムだろう。幸いなことに、私たちはすでにこのシステムを持っている。それはアナログな世界であり、一人で街を歩き、はじめてのバーに入って、見知らぬ人と話すということである。

アナログの死とデジタルの単純化

もっとも、私たちがデジタルに時間を費やせば費やすほど、アナログは死んでいく。オンラインストアで本を買い、電子書籍を読めば、街の本屋は潰れる。電器屋も、服屋も、スーパーやコンビニでさえもそうである。デジタル世界とアナログ世界の対立は、今後大きなトピックとして表面化していくに違いない。それは結局のところ、どれだけの時間をスマートフォンの画面を眺めることに費やし、どれだけの時間を街の風景を眺めることに確保できるかにかかっている。

デジタルの優位性は、すべてが数クリック(あるいは数タッチ)で済むことである。数クリックで済まないことは、ほぼ不可能と同義語になる。スマートフォンアプリはPCソフトウェアに比べ、あらゆることに単純化を求める。いまのスマートフォンアプリは混乱したUIばかりだが、いつか誰かが洗練した完成系を発見し、そのフォーマットに沿って多くのサービスが単純化という名の進化を遂げるだろう。高機能なソフトウェアやサービスは、高機能ゆえに廃れていく。

テレビの復権

アップルはテレビを作る。アップルは新しいものを作り、他社に追いつかれるまでの間にまた新しいものを作るというのを繰り返すことで、他の誰も見たことがないような、とてつもない成功をおさめた。iPodやiMacはアップルの成功に大きく貢献したが、もはやアップル自身も投資をしようとしていない。iPhoneやiPadはAndroidに追いぬかれた(シェアの話ですよ、とりあえず)。MacBook Airにはウルトラブックという対抗馬がすでに存在する。MacBook ProのRetinaモデルは美しいが、誰もが買う製品ではない。

つまり、アップルには次の製品が必要である。iPad miniでは足りないのだ。

次の製品はなんでもいいが、スマートテレビは有力候補だ。なぜなら誰も成功していないからである。ただしアップルのテレビは、きっと他社のスマートテレビに比べて機能が少なすぎるだろう。よって、皮肉にもこれまで日の目を浴びてこなかった各社のスマートテレビにも注目が集まることになる。そこにはGoogle TVも含まれる。

そして人々はリビングの中央にあった大きなディスプレイのことを思い出して、その再活用をはじめるだろう。あわせてWii U、OUYA、”Steam Box”のようなテレビゲーム機が話題になるかもしれない。死屍累々のテレビメーカーが復活するわけではないだろうが、トレンドのビッグヘッド化とあわせて、大人気のテレビ番組が幾つか出てくるかもしれない。いずれにせよ、テレビそのものやテレビ番組と連携するアプリやサービスが活性化していくに違いない。

発見のためのIT

確実に当たってほしいので予言にはしないが、ネット選挙は解禁されるべきである。それも選挙期間中、候補者のTwitterが沈黙するといった下らない話に留まらず、スマートフォンからワンタッチで投票が終わるくらいのネット選挙を期待したい。なぜなら極限まで単純化されてはじめて、人はその意味を考えはじめるからである。ワンタッチで投票が終われば、近くの小学校に投票へ行くために半時間を費やすことと、読みかけのまとめサイトを読み終えることで天秤にかける必要がなくなる。

どのような統計を見ても、日本における格差社会は広がっており、世界における日本の経済的重要度は下がっていく一方である。だからこそ、私達は仕事に行ってお金を稼ぐ以外のなにかを毎日の生活で発見する必要がある。最悪、ビッグヘッドをみんなで楽しんだという体験でも良い。政治的運動にワンタッチで関わったでも良い。テレパシーで仲間と繋がることでも、見知らぬバーに飛びこむことでも良い。こうした日々を発見する能力は、フォロワー数のように数値化されることもなく、実績バッジのようにゲーミフィケーション化されることもないが、2013年以降をサバイバルしていくために必須のものとなるだろう。そして、ここまで書いてきたように、形にならないものを実現するためにこそ、ITは必要とされていく。

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電子出版のススメ:Kindle Direct Publishing体験記

Kindle Direct Publishingも日本上陸

アマゾンの電子書籍サービス、Kindleがようやく日本に上陸した。そして間を置かずに、Kindle Direct Publishingも日本で開始された。Kindle端末とキンドルストアについては「まもなく日本上陸」という報道が何度となく繰り返されてきたから、遂にやって来たという感じだろう。でも、Kindle Direct Publishingまでこうして一緒にはじまるとは思っていなかった。

Kindle Direct Publishingは電子書籍の自費出版サービスだ。いや、自費出版というのは語弊があるかもしれない。いわゆる自費出版は、数十万円から時に数百万円というお金を持ち出して、数百数千の本を作って売るという、文字通り自分のお金ではじめる出版のことである。

一方、Kindle Direct Publishingは、データの入稿さえ自分でしてしまえば、あとはアマゾンが売ってくれる。というか、アマゾンのキンドルストアに並べてくれる。そして実際に本が売れたら、著者にお金が入る。少なくとも出版について、お金を持ち出す必要はない。ちなみにKindle Direct PublishingはかつてKindle DTPという名前だった。

余談だがオンラインの自費出版サービスといえばlulu.comという老舗があって、こちらはデータを入稿すれば、注文が入るたび一冊単位でオンデマンド印刷をして、顧客に届けてくれるというなかなか夢のある作りである。

Kindle Direct Publishingは残念ながら電子データをKindle端末やKindleアプリに届けてくれるだけだが、自慢の1 Click注文とWhispersyncにより、注文するとすぐに読めるという強みがある。なにしろ、巨大書籍ストアであるアマゾンに自分の本が並ぶのだ。面白すぎるではないか。というわけで、さっそく試してみた。

出版までの手順

入稿はまったく難しくない。まず、Kindle Direct Publishingのウェブサイトを開く。アマゾンのアカウントはもう設定済みだろうから、ログインして、印税を振り込む銀行口座を登録して、本のタイトルと説明を書いて、表紙と原稿のデータを入稿して、価格を決める。終わり。

あえて言うなら、原稿を用意するのが難しいだろうか。私はとある新人賞に応募した中篇のサラリーマン暗殺者小説が手元にあったので、これを利用することにした。

テキストデータはAozoraEpub3というソフトウェアでEPUB3に簡単に変換できる。もともとは青空文庫用の変換ツールだが、他のテキストデータも問題なく変換してくれる。青空文庫の記法を利用すれば、改頁なども簡単に入力できる。

もちろん、EPUBにしてから、HTMLやCSSに手を加えてもいい。手の凝んだことをやりたいなら、まっとうなEPUBオーサリングツールもたくさんある。

アマゾンのページにはEPUBを直接入稿できるとあるが、私が試した時はエラーになった。そこでアマゾン公式の変換ツール、KindleGenやKindle Previewerを利用して、EPUB3をKindleのmobi形式に変換する。Kindle Previewerは名前どおり変換したmobiファイルを実際に閲覧できるのでおすすめだ。

あと、表紙の画像も必要である。私はFlickrのCreative Commons画像から良さそうなのを見つけて、Gimpでタイトルを重ねた。

一通り設定すれば、48時間以内に審査を行うと言われる。あとは待つだけ。サイトの表記によれば、審査が通ればすぐに買えるようになるということだったが、まだ体制が整っていないのか、承認される、ストアに並ぶ、買えるようになる、という各段階にそれぞれ多少の待ち時間が必要なようだ。

出版してみて気付いたこと

手順はこれだけだが、実際にやってみると色々なことに気付く。

まず最初に驚くのは、Kindle Lending Libraryに本を登録するかと聞かれることだ。これはすでに米国で始まっている電子書籍の無料貸し出しサービスで、アマゾンプライム会員であれば、対象の書籍を月に1冊まで追加料金なしで読むことができる。そして対象の書籍の大半が、Direct Publishing経由の自費出版本という仕組み。自費出版サービスで本を集めておいて、貸し出しサービスで顧客を集めるのだから、なかなかうまく出来ている。

Lending Library経由で受け取れる印税については総額がサービス全体で決まっていて、実際に読まれた本の割合で作家に分配される。ちょっと前に米国の女子高生が月に何十万を稼いだという発表もあった。自費出版本がある程度揃えば、日本でも開始されるのだろう。

次に、登録した本をレンタル可能にしていいかとも聞かれる。これは本を購入したユーザーが、一定期間のあいだ友達に本を貸せる機能だ。貸しているあいだ、購入した本人は読むことができない。どれくらい実用性があるのかは分からないが、これも作家が自分で設定できる。

そして、DRMの有無を選べることにも驚いた。Kindleといえば独自のmobi形式で独自のDRMとばかり思っていたが、DRMを無しにすることもできる。無しにすれば、当然ユーザーはコピーして他人に配布できる。パブリックドメイン本などは当然DRMを無しにしなければいけないのだろうが、それ以外に活用方法があるのだろうか?

電子出版は儲かるか

さて、出版となると、避けては通れないのがロイヤリティ(印税)の話である。Kindle Direct Publishingのロイヤリティは30%だ。一般的な書籍が10%だから、それと比較すればずいぶん高い割合のように感じる。でもアマゾンが70%も持って行くのか、とも思う。ジャンルは異なるが、アップルやGoogleのアプリストアでは手数料30%というのが業界標準になっているから、ちょうど反転した形である。

最低価格は100円で、それ以上であれば価格設定ができる。ただいずれにせよ、自費出版にできる値付けは数百円だろう。そうすると、一冊売れて数百円の儲け。さて、何冊売れるの、という話である。最低価格を300円にするなど条件を満たせば、ロイヤリティは70%と倍以上になるが、それでも500円の自費出版本が2000部も売れるだろうか? これが売れて70万円である。どうもKindle Direct Publishingで大金持ち、というのは難しそうだ。

まあ、本で稼ぐのは難しいというのは、自費出版に限った話でも、電子書籍に限った話でもない。だからみんなビジネス書の作家は講演に出るし、文芸作家はコラムを書く。もちろん、電子書籍で大ヒットを飛ばす人も出てくるかもしれない。海外でやたら売れてるFifty Shades of Greyというアダルトっぽい小説は、本屋で買うのが躊躇われたので、電子書籍で人気という。

だからもしかしたら、次は自費出版からこういうヒット作が出てくるかもしれない。実際、自費出版業界では電子書籍以前からちょこちょことヒット作が出る傾向にある。とはいえ、お金稼ぎならメルマガやアフィリエイトのほうが筋が良さそうだ。すでに十分な知名度を持つ作家がKindle Direct Publishingに手を出すというのはアリかもしれないが、そういったセミプロ〜プロ対応としてはアマゾン自身が出版社としての機能を強化していくという道のほうがずっとありえる。

遊び場としてのKindle Direct Publishing

ただ、儲かる儲からないとは別の話で、やっぱりKindle Direct Publishingってすごく面白い遊び場になるんじゃないかと言いたい。世の中にはなんだかんだとまとまった文章を書いている人がたくさんいるわけだけど、いまはブログ以上に長い文章を出せる場所がない。対価をもらえる仕組みもほとんどない。Kindle Direct Publishingはそうした文書の受け皿になって、同人誌的な表現の場としても、研究史的な報告の場としても利用することができる。

もちろん中身は玉石混淆だろうし、これからひどい出来のものばかりが氾濫してもまったく驚かない。でも少数の出版社が本を出す出さないを決める状況から、一気にみんな好き勝手に同人誌を出していたころにまでタイムスリップしてしまう。何十万円もかけないとできなかった自費出版が、ノーリスクでできてしまう。そして、そんな同人誌が有名作家の本と一緒にオンラインストアに並ぶ。僕の名前で検索すると、昔書いた紙のビジネス書と、Kindleの小説が並ぶ。なんだかとっても愉快である。あえて言えば、その場をアマゾンが取り仕切っているというのが恐ろしいわけだけど、それはまあ別の話。

というわけで

サラリーマン暗殺者小説「夏は暗殺の季節」をぜひどうぞ。200円です。ほかのKindle本同様、無料サンプルもあります。件のDRMも無しにしたので、気に入ったら配布してみてください。

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人生という名のインターネットはむずかしい

インターネットむずかしい。最近ほんとうにそう思ってます。インターネットはどんどんむずかしくなっている。

私は技術に関しては楽観主義者で、インターネットがより良い未来をもたらしてくれると思っていたし、今もそう思ってネット関連企業で働いている。でも実際、インターネットがどんどん大きな存在になって、カリカリした技術的なところと、ウェットな社会的なところと、なんとも形容しがたい政治的なところがグツグツと煮込まれていく様を見ると、インターネットむずかしいと思う。

ウェブ2.0というトレンドが生まれて、個人が情報を発信して、個人が能動的に情報を取捨選択するようになった。これはもうみんなナチュラルに受け止めているが、本当にすごいことだ。たとえその結果が誰も望まぬ炎上や、心ないデマの氾濫だったとしても。個人が個人として声をあげられる。すごい。

ただそうやって、色々な人の生活や行動様式が見えるようになって、人生をどう生きるかという指針はむしろ見えづらくなったように感じる。情報量が増えて、情報中毒だとか言われるけれど(情報中毒社会サバイバルガイド!)、それ以上に深刻なのは、個人のさまざまな生活が明らかになって、人との比較を意識しながら生きることが求められるようになった点かもしれない。

たとえば人の親になって思うのは、今日ほど子供に説教をするのに難しい時代はなかったのでは、ということだ。私の場合、祖父がたいへんな読書家で、賢くなるためには本を読むべしといつも言っていた。おかげで私も読書が好きだし、本を読むのは基本的にいいことなのだと思っている。しかし、インターネットにはたくさんの読書家がいて、まあなんというか、この人これだけたくさん本を読んでてどうしてこうなっちゃうの、という人も少なくない。同じような例で、名門と言われる大学を出ておいてダメな人とか、一流と言われる企業で大変そうな生活の人とか、インターネットにはそういう人達がたくさんいる。反対に、たとえば大学をドロップアウトして成功した人とか、全然だめな生活を送ってるのに楽しそうな人とか、そういう人生も見つけられる。

同い年で自分よりすごい人もたくさんいるし、ぜんぜんだめな人もたくさんいる。自分がかつて抱いていたような夢をとっくに叶えている人もいれば、かつて尊敬していた人がだめになっていく様も目にする。上には上がいて、下には下がいる。そういうことはみんな知ってるつもりでも、偉人の伝記を読むのとは違って、今日ではソーシャルメディアを通じて、一人一人のリアルが伝わってくる。この実態を思えば、いわゆるソーシャル疲れとか、あしあとや挨拶に疲れたとかいう話は表層的なもので、むしろ考えるべきは人間のリアルがどんどん記録され蓄積され分類される社会と、どう付き合っていくのかという問題になる。

自分と似た人を見つけるのはつらい。自分は特別でないと気付かされる。映画を観たあと、自分がもやっと思ったことをパリッと書いたレビュー記事を見つけるのはつらい。新しいことをはじめようと思ったら、それを極めている人の解説が見つかってしまう。今日も誰かが成功して持ち上げられ、誰かが語られることなく失敗していく。それを読んでいる自分。インターネットは、自分が凡庸であることを再認させる装置となりつつある。自分はインターネットになにかを残す価値があるのだろうか。この毎日はガイシュツではないだろうか。この生き様はブックマークを集めるに足るものだろうか。

適当なことを言うけれど、もしかしたら日本は総中流と呼ばれる時代が長かったため、他人と比較して生きるということにナイーブなのかもしれない。だとしたら、この時代の鋭さに動揺しているのは日本だけなのかも。私だけなのかも。分からない。

でも凡庸なのは悪いことではない。誰かと同じであるからこそ、その人と繋がることができる。同じ趣味の人を見つけて、運が良ければその人と仲良くなれる。見知らぬ人が相手であっても、インターネットに人々のリアルが存在するからこそ、私たちはそのリアルを参考にしてより良い生活を生きていくことができる。たとえば食べログのおかげで美味しいレストランと巡りあえる。その美味しさが、誰かがすでに発見したものであったとしても。インターネットが、ソーシャルメディアがなかったかと思うと、私はたぶん友達の半分も作ることができず、美味しいレストランも面白い本も見つけられず、そのうち孤独で死んでいたと思う。

だからインターネットはもうだめだとか、そういうことを言うつもりはぜんぜんないし、そういうことを言うひとは本当にちょっと待ってよく考えてくれよと言いたい。ただ、インターネットはむずかしい。これほど人のリアルが蓄積されていて、私はそれをどう活用すればいいのか、ましてやそこになにかを足すことなどできるのかと。

そういうわけで、けっきょくのところ他人はさておき、好きに生きるしかないという凡庸な結論に辿りつきつつある。他人は他人、自分は自分で、好きなことを見つけて生きていける人達は強い。いつでも他人の声を聞けるようになった今、他人の声に耳を傾けない(こともできる)人が強いというのは、なかなか面白い。あるいは、自分の行動や発言が凡庸かどうかを気にしない人は(多少疎ましいことはあっても)強い。すこし前までのインターネットは、元ネタ探しゲームというか、こういうの前もあったよねと指摘する人が勝者という感じだったけど、今は何周目のネタでもやりきった人の勝ちという感じになりつつある。いいことなのだろう。

たぶん、私の子供の世代は、それはもうたくさんのリアルがインターネットに蓄積されているのを見て、見て見ぬふりをして、好きに生きて行けるのだろう。ちょうど私達が図書館を見て、面白い本はたくさんあるだろうけど全部読むのは無理だよね、と諦められるように。でも私は、インターネットが好きで、どんどん大きな存在になっていくのを楽しんで、今はその大きさに圧倒されている。インターネットに存在するリアルなあれこれに悩むより、リアルそのものを楽しむためのインターネットという風に頭を切り替えるべきなのだろう。インターネットなんて結局はツールなんだから。重要なのは人生のほうじゃないか。いや、でも、インターネットはそれ以上のものだったのではないか? そんな簡単に切り替えられるだろうか。インターネットはむずかしい。

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