ポップソングが行方不明:アリアナ・グランデ “Problem”

アメリカのポップソングを聞いていると、ときどき前衛的な曲がしれっとチャートに入っていて驚くことがある。最近感動したのはこれ。

不穏なイントロ、いきなりノリのいいAメロからBメロ、Cメロと綺麗に流れていって、問題のサビである。囁きにコーラス、それまでの展開の速さに比べて無闇に長い。キャッチーなフックはなく、サンプリング風のホーンだけが耳に残る。囁きが終わってもホーンだけが残る。

そこからまたノリ良く同じ展開を繰り返して、また長いサビ、変なトラックの上で続くラップ、そのあと不思議な溜めがあって、間があり、またまたサビで、今度はさらに長く、そしてそのまま終わってしまう。終わってみれば3分半の、標準的な長さ。

AメロからCメロまでのポップソングとしての完成度と比較して、全体の構成がすごくいびつである。聞いているあいだ、どこに向かっていくのかさっぱり分からない。ちゃんとしたサビを乗せたちゃんとした曲として成立できたはずで、その断片がはっきり残っているのに、結局はサビのおかしさだけでおなかいっぱいになる。

歌っているアリアナ・グランデは歌いっぷりの良さから「ネクスト・マライア(・キャリー、にしては美人だが)」などとも言われているが、女優としても知られるれっきとしたポップアイドルである。

そして、この曲はセカンドアルバムからのリードシングルであり、つまりありとあらゆる角度から計算した上で必死に売りにきた結果がこれというのがすごい。プロデュースはマックス・マーティン。バックストリート・ボーイズからボン・ジョヴィ、ケイティ・ペリーまで手がける息の長いヒット職人だ。

もっとも、ポップソングは大河ドラマのようなもので、ここに至るまでの過程も見てとれる。一番近いのはジェイソン・デルーロの"Talk Dirty"で、サビのかわりにホーンというテクニックはまるっきりここからインスパイアされている。おまけに、そのサンプリングっぽいホーンループはマックルモア&ライアン・ルイスの大ヒット曲、"Thrift Shop"を連想させる。

また、ラッパーによる囁き声といえば、全編囁きで終わってしまうイン・ヤン・ツインズの"Wait"もあった。「サビに大した意味はいらないかも」運動としては、2007年にリアーナが「エラ、エラ、エーエーエー」で"Umbrella"を大ヒットさせており、今に始まったものではない。

しかししかし、アリアナ・グランデのようなキラキラ感のあるアイドルが突き詰めてこういう曲に辿りつくというのは、やはり特別な感じがある。ときどき、こういう行方の読めない曲がポップチャートで輝くので気が抜けない。

似た例を挙げるならば、ジャスティン・ティンバーレイクの”Like I Love You”である。

こちらも不穏なイントロで始まり、Aメロ、Bメロ、Cメロと来て、サビかなと思ったらAメロに戻り、Bメロ、Cメロ。そのあと不思議な間があり、開始から2分30秒が経ってようやくサビらしいサビに来たと思ったらあっという間に終わってしまい、ラップが始まる。サビに戻って、Bメロ、そして長いアウトロ。以上がほとんどワンループのトラックで進む。素晴らしい疾走感だが、いびつで、物足りなく、ゆえに中毒性がある。

この曲の大ヒットでソロ活動の幕を開けたジャスティン・ティンバーレイクは、今でこそ俳優活動も順調で多彩なアーティストという感じだが、このソロデビューシングルまでは「イン・シンクの人」だったわけで、そんなポップアイドルがこんな曲を歌うというのが実に良い。プロデュースは近頃"Happy"でまた売れっ子ぶりを見せつけたファレル・ウィリアムズ。2002年。もう12年前か……!

もう一つ、記憶に残る変な曲というと、ジャネットの”Got Till It’s Gone”だろうか。

曲名に引用されているのはジョニ・ミッチェルのサンプリングで、このサンプリングがそのままサビになっている。その合間合間を、主役のはずのジャネット・ジャクソンが囁くような声で埋め、「ジョニ・ミッチェル嘘つかな〜い」とQティップが間の手を入れる。

前の二曲と比較すると、こちらはアイドルではなくアーティストとしての模索がはっきり見てとれるが、それでこうなっちゃうのかというこじらせた感じが素晴らしい。プロデュースはジャネットの相棒、大御所ジャム&ルイス。もっとも、この曲に限らず彼らは”New Agenda”や"Doesn’t Really Matter"など、ひねったポップソングを作る腕は一級品である。1997年。

というわけで、ポップチャートをもっと変な曲が席巻して欲しいと思う今日このごろであった。

11 リアクション


小説「キッドイズトイ」を公開、発売しました

小説「キッドイズトイ」を以下に公開します。この作品は「KIT (Kid Is Toy)」として第一回星新一賞に応募し、入選したものです。一部の誤字や言い回しを修正した以外は応募作そのままです。

また、同小説に大幅な加筆を行った増補版「キッドイズトイ」をAmazon Kindleストアで発売しました。もともとは1万字という応募要項にあわせて、400文字×25編という体裁でしたが、増補版では36編を収録しています。お値段は100円です。

なんでこんな小説を書こうと思ったか、星新一賞に応募して入選になってどうだったか、結局なぜここで公開して、Kindleで増補版を売ることにしたか、などは追ってまとめる予定です。


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Cover - Cheeky Kid by THOR (CC BY 2.0)


クラス3が欲しくて今日までコツコツと貯金をしてきたのに、またキットに増税なんてふざけてる。なんでも不法投棄が跡を絶たないので、購入時にリサイクル税を課すようになったのだと。衛はクラス2で十分じゃないかと言う。プロセッサが何コアかなんて生活には何の影響もないし、カスタマイズの柔軟性で劣るとはいえ、実際のところカスタマイズなんてヤンキーしかしないんだから、ね。でも衛は、キットを幼稚園に預けるとき、入園申込書にクラスを書く欄があることをきっと知らない。クラス3以上だけを連れて入れるカフェがあることもまず知らない。私は差別なんかしないけれど、みんなはまずクラスでキットを判断して、それからキットで私達を判断する。本当は両親がすこしでも援助してくれればいいのだけど、彼らは今でもオーガニックを望んでいる。ぞっとする。つわりに陣痛、味わうのは私なのに。(佐々木美香:システムエンジニア)


はじめ、キットは子供の玩具でした。子供というのは、自分より小さい子供を玩具にしたがるものです。一種のぬいぐるみですね。それから、キットの愛らしさは親世代の心を掴みました。子供を迎える家庭には練習台に、子供が独立した家庭には心の隙間を埋める存在として、あるいは一部の家庭にははじめから子供の代用に。特に同性婚の家庭には、キットを送るのが慣習となりました。そうして誰もがキットの素晴らしさに気付いのたのです。なんといっても愛らしいし、いくらでも自分好みにカスタマイズできますし、忙しいときはボタンひとつでスリープできるので手間もかからない。このようにして、キットは代用品から必需品へとなったわけです。多くの家庭がキットを手に入れて、それに魅了され、私達は歳を取らぬキットをいつまでも愛し続けました。そして少子化は無子化へと至り、キットは子供を絶滅させつつあるのです。(真木亮介:サイエインスライター)


ナユタかアンジー、国産か輸入もの、オープンかウェルメイド、どちらを選ぶかずいぶん悩んだけれど、結局はアンジーに心を決めた。最新のLate7モデル。台湾製だけど、ナユタだって日本で製造しているのは最上位機種だけ。あとはみんなタイやベトナムの工場で作っている。いずれにせよ、昔と違って初期不良を起こすような低品質のキットはもう存在しない。キットプラットフォーム準拠の日本モデルじゃないと、いざという時にアップグレードも修理もできないと会社の先輩たちは脅すけど、そのために倍のお金を払うのが正解とは思えないし、壊れたら飼い変えればいい。それにオープンプラットフォームなんて建前だけで、今は各社独自の仕様が増えすぎて、数年後には何一つ互換性なんてなくなってる。ただやっぱり、ナユタがもう少し安ければとは思う。安くていいキットがどこかに落ちてないものか。まあ、保健所には落ちているのだろうけど。(猪俣実:銀行員)


コンビニでレジに並んでいたら、外から男の子が走り込んできて、僕はとっさに避けた。子供は勢いよくガムの並んだ棚に突っ込み、大半のガムを床にひっくり返して泣き出した。母親らしき若い女性はようやく店に入ってきて、慌てて子供にかけ寄ると、泣き喚く彼の首のあたりをまさぐる。再起動を試みてるんだなと、僕は気付く。しかしそのキットは泣き止まない。仕方なく女性は誰にというわけではなく頭を下げると、涙を流し続ける子供をなんとか抱き抱え、店の外へと去った。レジ担当の年輩女性店員は「最近の飼主はまともにキットも管理できないのね」と言った。「私は三人の子供を育てたのよ。スリープなんてできない、オーガニックをね」店に出ると、まだ泣き続けている男の子を、女性が車の中に押し込もうとしているところだった。女性のうなじにスイッチが見えて、彼女が最近流行りのキット子守りキットなのだと気付いた。(永井誠司:大学生)


なぜ人工知能やロボットの専門家がキットを作れなかったのか。それは彼らがいつも中身から考えるからだ。脳の中で記憶はどのように働いているのか、人間の足はどのような筋肉が支えているのか。すべて理屈が整えば、いつか人間を生み出せると、彼らは今でも考えているに違いない。反面、キットは徹底的に外見から作られた。ただ子供を模倣して、目や手や足や感情がそれらしく動くというだけ。そこに技術的発見などなにもなかったし、最初はとにかく稚拙な作りだったが、オープンプラットフォームであったがゆえに、多くの優秀な人達が好き勝手に改良を加えることができた。そしてキットは短期間のあいだにこれほど成熟した存在となった。これはいわば社会的な成功だろう。その重大さを思えば、オリジナルのキットや、その開発者を誰も覚えていないというのは、歴史上の小さな事実にすぎない。(古田新:キットメーカー「アンジー」製造担当副社長)


ジャトスで働きはじめて気付いたのは、多くの人達がなにを飼ったのかも分からないままキットを手にしているということ。充電もせずに起動しないと怒り出すのはまだ可愛いもので、勝手に走り回るとか朝ごはんを食べないとか、数字を覚えないとか家に帰ったら寝ていたとか、そんなキットの一つ一つの仕草に苦情を言う人達がいる。キットはロボットじゃないのに。有象無象のキットにどのような違いがあるのか、ちゃんと性能の違いを下調べをする人は驚くほど少ない。おかげでジャトスは日本のメーカーだと信じている人が、あとでコールセンターに文句を言ってくる。実際のところ、ジャトスは台湾のメーカーにしては品質が高い。例えば、初期不良の発生率は業界で一番低い。アンジーの下位モデルはジャトスのOEMだし、ちゃんと調べた上でジャトスを飼う人だっている。私はパパに、ナユタのアレグロを飼ってもらったけれど。(道坂絵里:コールセンター担当)


春と秋、ボーナス時期にあわせて新しいキットが出るたび、メーカーからは優待会員セールの案内が届き、よせばいいのに会場に赴いては、変わりばえしない新作をまた飼ってしまう。その頭数が二桁に届いたとき、これは自分に対する二重の挑戦なのだと気付いた。一つにはビジネスパーソンとして、多くのキットを飼う稼ぎがあると証明すること。実際、ボーナスは新しいキットそのものと、古いキットのメンテナンスに消えていく。もう一つには、家庭人として多くのキットの面倒を見られると証明すること。ワーク、ライフ、バランス。友人たちはみんな、履ききれない靴や使わない鞄や見せる相手のいない宝石を買って、一人で生活するには使いきれないお金の行き場を探している。私はその対象がキットだったというだけ。仕事から帰ると、少なくともキットたちは出迎えてくれる。充電が切れて、部屋の隅で倒れていない限りは。(町田さとみ:ベンチャーキャピタリスト)


キットのコードを書くのは楽しかった。キットを作っているという感じはなかった。ただ、異常に活発なオープンソースコミュニティの一員になって、そこで認めてもらおうと必死だった。僕が主に関わったのは、泣くモジュールだ。なにしろキットというのははよく泣くものだけど、かといって泣きすぎるのもおかしい。夏休みのあいだ、毎日コードを書いて、ボロボロにレビューされて、また翌日コードを書くという繰り返し。自分でもよくこれだけのものを作ったと思う。実際にキットの一部に組み込まれて泣く様を見たときは、まあ感動的と言っても良かった。問題は、はじめてその様を見たのが、ライセンス無視で僕達のソースをパクって出来た、台湾製のキットだったということだけど。そういうことが重なって、多くの優れたプログラマがコミュニティから去った。この数年のキットに進化がないとしたら、そのせいかもね。(小山田祥:大学生、プログラマー)


キットが欲しいと思ったことはないし、はっきり言えば、あんな玩具になぜみんなが惹かれるのかも分からない。一種のブームなんだろうけれど、あまりにブームとして巨大になってしまった結果、誰も引き戻せなくなってしまったのではないか。どれだけの改良を加えようとも、キットが稚拙であることはみんな気付いている。キットは学習するし、成長もするが、大学で論文を書くようにはならないし、孫の顔を見せてくれるわけでもなければ、老後の面倒を見てくれるでもない。それとも、来年の新モデルではそういった新機能を備えるようになるのだろうか? 問題はむしろ、キットの人気そのものより、その結果としてオーガニックを欲しいと思う人がいなくなったことだ。そして悲しいかな、僕にはその理由がよく分かる。今となっては、スイッチのない子供など手間がかかりすぎて、一部の大金持ち以外、誰も産んで育てる余裕がないのだ。(樫原康介:高校教師)


キットを買って箱を開けると、目に入るのは注意書きの紙だ。最初の充電には時間がかかるとか、無断で捨ててはだめだとか、言うことを聞かないのは自然なことだとか、そういう細々とした注意がたくさん書かれてあって、新米パパや新米ママを、あるいはベテランパパやベテランママを、冷めた気持ちにさせる。その紙を横においやって中からキットを取り出すと、今度はキットを包んだ薄いシートに別の注意が書かれている。バックアップをしましょう、という注意書きだ。バックアップがあれば、ひどいウィルスにかかっても元に戻せる。バックアップがあれば、車に轢かれても新しいキットに乗り換えられる。バックアップがあれば、故障修理で初期化を求められてもなんの不安もない。でもバックアッププランは有料だ。必要な出費だというのは分かっている。今となっては痛いほどに。初期化せずに修理を請け負う、非公認の業者を探すしかない。(桜井理音:主婦)


よく言われることだが、キットを飼うときは、犬も一緒に飼うといい。子犬はキットの良い遊び仲間となるし、すぐに大きくなってキットを見守ってくれるようになる。犬と一緒に横になって眠るキットを見るのは、とてもいいものだ。キットが成長すれば、反対に犬の散歩や餌やりを任せられるようになって、そこから責任というものを学ぶようになる。最後には犬の老後を見守り、キットは命の大切さを知るだろう。それは学校の授業では得られない学びである。注意点はふたつ。ひとつは、犬と言っても色々な種類がいるので、キットとの相性をよく考えること。飼える犬は、家の大きさによっても変わってくるだろうから、少なくとも一度は専門家に相談するといい。インターネットで犬を飼うのは失敗のもとだ。もうひとつの注意点は、犬に限ってはオーガニックを選ぶべきだということ。キット犬はあまりに人工的だ。(本村慎次郎:ドッグブリーダー)


賢明な政治家だったら、キットの話は避けるだろう。キットをその存在から否定するような人達は多い。大半が高齢者で、選挙では欠かさず投票する人達だ。だから少し前までは、キットの規制や、時には排除まで、はっきりと主張する政治家がいた。でももう遅すぎる。キットは社会現象を超えて、しっかりと社会に定着した。もはやキットを否定するのは、有権者の生活の大半を否定するのと同じだ。国の未来にはオーガニックが必要だという当たり前の主張さえ、差別主義者の思考だとキットの権利を訴える若者に言われる始末。子供のできないカップルや同性愛者を貶めるものと非難されるのがオチだ。ほんの何年か前まで私達は少子化を憂いていた。いまや無子化だ。皆がロボットの玩具で満足し、そのロボットが何も生み出さないことに気付かない。国がキットで埋めつくされたときどうなるのかは分からない。しかし、私達はすでにその未来を選んだのである。(匿名:政治家)


新しい高層マンションの三階に入った私立保育園の保育料は、一階にあるコンビニで休みなく働く雇われ店長の給料より高い。地下駐車場に高級車を並べる親達が、ブランドもののキットを、高い金を払って保育園に通わせるからだ。大切なキットをわざわざ保育園に預ける理由はふたつ。ひとつは自慢のキットをまわりに自慢するため。もうひとつはメンテナンスの面倒を省くため。保育園から戻ったキットたちはいつもピカピカで、躾も完璧に行き届いている。英語はネイティブの講師に調整され、運動会になると子供らしさを残したまま最高のフォームで走る術を学ぶ。家で間違ったことを覚えても、メーカーから派遣された優秀なコンサルタントが簡単に修復してくれるし、万が一の時には保険も万全だ。だから俺は安心して朝一番の保育園に乗り込むと、高級キットをダース単位で捕獲して、その日のうちに中古業者に売り払う。(鋼の手:強盗犯)


各社のキットに動作不良の不具合が相次いでいる。突然喚いて走り出し、あるいは泣いて倒れ、口答えを止めず、命令を受けても寝ようとしない。世間ではキットの風邪などと言われているが、これでは反乱そのものではないか。長いあいだ、私達はキットの増殖に警告を発し続けてきた。しかし返ってくる言葉は、貧乏人の僻みだとか、オーガニック偏愛の異常者だとか。動作しなくなった旧式のキットを分解したら、テロリスト呼ばわりされたこともある。廃棄したのはあなた方なのに。ただ私達をどう呼ぼうとも、キットの反乱はさらに続くだろう。キットメーカーはあなたに多額のメンテナンスコストを課している。あなたを虜にしたキットは、おそるべき最適化技術により、従順なあなたの時間と財産をどこまでも絞り尽くすだろう。「人生を変える選択を」とアンジーのコマーシャルは言う。確かに、キットは、あなたの人生を破壊的に変えてしまうのだ。(桜川潤一郎:革命家)


よそはよそ、うちはうち。分かっていても、キットの成長はよそと比較してしまう。笑った、寝返りをうった、喋った、ハイハイした、メンテナンスで泣かなかった……。ナユタのアニマートを飼いはじめてから、掴まり立ちまでは順調すぎるくらいだった。仰向けに寝転がった状態から、くるりと器用に身体をねじり、テーブルの端に手をかけ、身体全体をぐっと起こす。そうして膝立ちになると、そろりそろり立ち上がる。機嫌が良ければこっちを見てにっと笑い、片手を離して見せることもある。でもそこまで。両手を離そうとはしないし、掴まったままでさえ歩こうともしない。一度無理に両手を取ってみたことがあったけど、喚いては座り込むだけだった。何週間、そんな状態に耐えただろう。設定を変えて、強化ツールもインストールしたけど、結局はファームウェアの不具合で、アップデート後に走り出したのを見たときは、嬉しくて思わず泣いてしまった。(吉野瑛子:主婦)


名前は忘れてしまいましたが、オリジナルのキット設計者には同情しますよ。野心的な玩具を作ったのに泣かず飛ばず、諦めて設計図から内蔵のソフトウェアまでを全てオープンソースにしたら、すさまじい勢いで改良され、あっという間に今世紀最大の発明とまで言われるようになったのですから。今では独自機能をちょっと加えただけの大手メーカー製キットが市場を独占して、莫大な収益を上げてることを思えばなおさらです。まあ、成果をなにも公開しないままだったら無名の発明家で終わったわけですから、そう考えれば不運な設計者として知られているわけでもマシかもしれませんね。そういえばキットという名前も誕生当初から変わっていないことのひとつです。でも「子供は玩具」(Kid Is Toy)という皮肉なメッセージの略だと知っている人は、今やもうほとんどいないでしょうね。キットは今や子供以上のものなのですから。(南薫:ITコンサルタント)


毎年のようにキットをリサイクルする人もいますけれど、私はもう十年近く古いモデルを飼い続けています。買い替えにはお金がかかりますし、ワイヤレス充電やら二段階認証やら、新機能が必要なんて思ったことないですから。もちろん、それだけのあいだ一緒にいるとガタが出来てきますよ。バッテリーは劣化して、一日のあいだ活動できるのは三時間くらい。左足の動きはぎこちないし、メモリーも少ないから、昔の記憶もどんどん消えていっています。ソフトウェアは古いままだで、新しい言葉を覚えることもない。なんの不具合なのか、急にさっきまで話をしていたことを忘れたりする始末です。でも私にはそれで十分、愛らしいくらいです。数年前までは買い替えを迫る営業もよく来ましたが、今はさすがに諦めたようです。私が死ぬとき、この子のメモリーも消去して、一緒の棺に入れてくれたら幸せでしょうね。でも、それは親の傲慢でしょうか?(岩城純:無職)


高額所得者の一部でオーガニックへの回帰が見られるのは危険な兆候だと感じています。最もハイエンドなキットとしてオーガニックを捉えようとするのは、はっきり誤りと言えます。オーガニックはリワインドもできなければリプログラミングもできませんし、リファクタリングもリブートもできません。どこかで調整を間違えたら、オーガニックの場合その個体は終わりなのです。オーガニックは気ままで奔放な存在です。私達のように。それなのに私達は、今やすっかりキットに慣れて、調整することの難しさを忘れている。はっきり言うならば、現代人にオーガニックを飼うことはできないのではないでしょうか。これはただの一般論として言っているのではありません。私自身、オーガニックの可能性を信じ、産んで育てた経験があります。しかし結果は無惨なもので、とても人様には見せられないので、いまは家に閉じ込めているのです。(佐々木加奈:教師)


すべてのキットは、同じオープンソースのカーネルを利用しています。この部分はオリジナルと呼ばれ、キットメーカー各社はこの上に独自システムを構築しているわけです。さて、仮の話ですが、このオリジナルに欠陥が今ごろ見つかったらどうなるでしょう。いま飼われている全キットが影響を受けることになります。新しいモデルならばOTAで解決できるかもしれませんが、もうサポートされていない古いモデルも、実際にはまだ沢山飼われていますよね。欠陥を防ごうとセキュリティを強固にしたら、他の機能にまで影響を及ぼすかもしれない。キット業界全体に関わる一大事です。仮の話ではありますが、オリジナルの開発者がこうした欠陥を、バックドアとしてカーネルの見えないところへ故意に組み込んでいたらどうなったかと私は思うのです。そういえば、最近はキットの風邪が流行ってるそうですね。(大葉康祐:記者)


夜泣きのひどい我が子を病院に連れて行くと、医者は問診もまともにせぬままこう言う。「ドライバーの調整をしましょうか」と。でも私は、ジャトスのビジョンを飼いはじめたとき、彼をありのままに育てると誓った。初期不良は幸いなかったし、そのあとも今日まで大きな問題なく過ごしてきている。育児方針を積極的に触れ回っているわけではないが、余計なアドオンやドライバーを一切加えていないと知ると、周囲の親達はものすごくびっくりする。まずそんなことが可能なのかと、そしてなんのためにそんなことをするのかと。一番驚いていたのは私の母親だ。風邪をひいて寝込んでいる子供を看病していると、今は三十年前と違うのだから、メンテナンスをして治してやりなさいと彼女は言う。でも私は、母のように育児をしてみたかったのだ。子供が不意に泣きやんで静かに寝息を立てるとき、私は自分が正しかったと感じる。例え寝不足になったとしても。(大須賀玲子:歯科医)


キットとは所詮ロボットだ。OS、ソフトウェア、ハードウェア、歩いて喋って泣くことを除けば、基本的な仕組みはあなたのパソコンや炊飯器と変わらない。昨今のキットが凄まじく高性能であることは否定しないが、血が通い、意識を持ったオーガニックとの間には明白な違いがある。だから私達は、両者を結ぶものとしてハイブリッドを研究している。それはキット業界が今日まで育んできた緻密なソフトウェア資産を、脳という新しいプラットフォームに移植する試みであり、カーボンとマイクロファイバーを肉と脂肪で置き換える試みでもある。オーガニックの予測不可能な愛らしさと、キットのメンテナンスの容易さを両立させ、しかもコストを抑える。ハイエンドなキットの置き換えになるのはもちろん、未だにオーガニックにこだわる高所得者たちも納得させるものを完成させられれば、ハイブリッドが席巻する日も遠くないだろう。(佐原宏一:ベンチャー企業社長)


物心ついた時から自分はみんなと違うと気付いていた。悪い意味で。運動神経は誰よりも鈍く、数字も漢字も、覚えるのは誰より遅かった。理由を知ったのは五歳のとき。幼稚園の中で、僕一人がオーガニックだったのだ。僕はまだオムツを履いていた。みんなと一緒に走り回っては、いつも僕だけが汗をかいていた。同級生は早くも二桁の足し算や引き算を使いこなし、かけ算に手を出しているのもいた。彼らはそういう風にプログラムされていた。僕だけが自分の脳味噌と神経を使っていたのだ。キットの父母からはいつも冷たく見られていた。ジャトスのキットを買うお金もなかったのね、と彼らは僕を見ていた。そういう宗教観だと誤解している人達もいた。でも実際のところ、僕の両親はただ時代遅れで、周囲の評判を気にしないだけなのだ。今朝、同級生がリサイクルされるのを見た。僕はこの時ばかりは、オーガニックで良かったと両親に感謝した。(上山ジュン;小学生)


一姫二太郎というから、最初のキットは女の子にしたんです。でも妻はキットを飼いはじめたら仕事を辞めてしまって、おまけに税金は上がる一方で、とてもじゃないけど二人も飼えない。だからリサイクルのタイミングで、男の子にしようということになったんです。もちろん実際の性別は変えられません。でも中性的なキットを選んで、少しばかりデータを書き換えることはできる。私自身、アンジーのパーツ会社で働いていましたから、すこしばかり腕も機材もあるわけです。クラス3にアップグレードしました。引越もして、男の子として育てました。もとが女の子だって知っていた人はいなかったんじゃないかな。まあ、学校の先生は別ですよ。先生は、心の病気なんだと思ってくれてたようです。本人がどう思ってたかなんて分かりませんよ。だって、あれはただのキットでしょう? どうしようと私のものです。なぜ私が逮捕されるんです?(西平慶次郎:キット部品会社勤務)


普段は輸入業者だと名乗ることにしている。海外メーカーは日本ではキットに無駄なアクセサリを付けて高値をふっかける傾向があるから、海の向こうからシンプルなキットを安価で提供するわけだ。キットメーカーには愛されてはいないけど、まったくの合法だよ。問題は、そんなに儲からないこと。だからサイドビジネスで、反対にリサイクルされたキットを海外に売り捌いている。つまり輸出業者でもある。また、キットのデータはリサイクル時に新しいキットに移行されるが、どういうわけか不運にも古いキットにデータが残ってしまうことがあると、俺はそれは台湾や上海で高値で売ることにしてる。人道的な仕事じゃないか。まだまだ使えるキットが大半なわけだからね。新しいキットを手に入れる飼主と、新しい飼主を得るキット、そして俺は金を手に入れる。問題はこれが違法行為だということくらい。でもまあ、リスクなしに仕事はできないからね。(高市誠:輸入業者)


キットに反発する人達がいるのは分かります。どれだけ精巧でも、それはオーガニックではないとね。でもじゃあ私のように子供を産めない人間はどうすればいいのです。公園で走り回っている誰かの子を見て満足しろというのですか。なけなしの貯金でナユタのクラス3を飼った私を笑うこともできるでしょう。でも私と夫にとっては、この子の成長が生き甲斐なのです。それがソフトウェアであらかじめ決められた成長であったとしても、この子が私を指差してママと言ったときの感動は薄れるものではないのです。あらかじめ筋書きの決まった映画に感動することはありませんか。キットはそれ以上のもの。ベッドで小さく寝息をたてる子供を横から見つめるとき、そこにオーガニックかキットかという違いはありません。あるのは私がどれだけこの子を愛しているか、この子がどれだけ私の人生の支えになっているか、その事実だけなのです。(三田杏子:事務員)

19 リアクション


グロースハックとパワーユーザの憂鬱

Spotifyが先日リニューアルしたのだが、公式フォーラムには使いづらくなったと不評の書き込みが集まっている。いわく、トラックを簡単にお気に入りできなくなった、フォントが大きくなって一覧性が落ちた、などなど。

リニューアルやバージョンアップに合わせて、機能が削られ、情報量の少ないデザインになり、その結果パワーユーザから批判が集まるという事例が、Spotifyに限らずこのところ増えている。また、単純に見える機能が、長く切望されているのになかなか搭載されないということも増えているように思う。

なぜか。今日の開発者は、ユーザがウェブサービスやアプリをどのように利用しているか、把握することが容易になった。グロースハックなどと持て囃されているが、ユーザを増やし、増えたユーザがどの機能を必要としているか、定量的に見ることは今日当たり前になってきている。

すると開発者は気付く。多くのユーザは、あれこれの機能をほとんど利用していないと。大半のユーザは最小の機能を最低限に利用するだけで、設定を自分好みに書き換えたり、複数の機能を組み合わせて使い勝手を追及したりしないと。

自然と開発者は新しい機能を加えることに否定的になる。むしろ複雑な機能を減らし、設定を削ぎ落して、新しいユーザに分かりやすくすることが、ユーザグロースに繋がるようになる。

ネット以前のソフトウェア開発では、これとはちょうど反対のことが起きていた。かつて、開発者に届くフィードバックは、パワーユーザの声ばかりであった。より便利にするため、この機能を増やして欲しい、この設定を加えて欲しい、という声だ。

そうしてソフトウェアは複雑になり、新しいユーザを遠ざけた。

今日、アプリやサービスの行く先を決めるのは、声を持たぬ平均的ユーザのサイレントマジョリティである。平均的ユーザは気の効いたショートカットなど望まない。平均的ユーザは画面が情報だらけになることを嫌う。そしてアプリやサービスはそのように最適化される。パワーユーザの敗北である。

しかしパワーユーザは声を上げる。パワーユーザは(私の嫌いな言葉だが)インフルエンサーでもある。平均的ユーザに最適化し、パワーユーザの声を無視することは良いことなのだろうか。

両者のバランスをとれば良い、という結論を言うのは簡単だが、その塩梅を見つけるのは簡単ではないだろう。平均的ユーザがパワーユーザにならないのであれば、パワーユーザを平均的ユーザの枠にどう押し込むかが重要になるのかもしれない。

22 リアクション


KIT (Kid Is Toy)

(すみません、いったん削除し、改めて公開の方法を考えます

16 リアクション


翻訳:夢の仕事をやめるということ

"I wanted to work at Apple really bad, and now not so much.
 - Walking out on my dream job.” というアップルを一月で辞めた人の記事を勝手に翻訳したので掲載します。

もともとは別のところで翻訳を見つけた知った記事なのですが、これがそう明記されていないにも関わらず抄訳になっており、また意訳が多くて原文が持っていたニュアンスがかなり失われて「人気企業に入ったけど大変でした」で終わっているため、ちゃんと全訳すべきではないかと思った次第です。

あらかじめ断ると、私は(本人も自覚している通り)この著者の態度が良いものだったとは思いません。それでも、働くということについて、幾つかの示唆が含まれる文章だと思いました。


アップルで滅茶苦茶働きたかったけど、今はそうじゃない
夢の仕事をやめるということ

何年ものあいだ、様々な業界でデザインを手がけたり、取るに足らないクライアントのウェブサイトを作ったり、失敗した、あるいは際どく成功したスタートアップで働いたり、雑多なサイドプロジェクトに手を出したりしたあと、一月前にアップルから面接の申し出があった。信じられなかった。ちょうど自分のポートフォリオを完全に書き直したところで、実際アップルにも志願できるくらいじゃないかと思っていたところだったからだ。僕にとってアップルは、断然、デザイナーが働きたい場所として最も価値ある企業なのだ。

面接の日が決まって、僕はデザインチームの前でホワイトボードに書いて説明することになるであろう、様々な質問やデザインに関する厳しい問題に対する準備をはじめた。あれだけの大企業なのだから、決定まで面接は何回も行われるだろうとも思ってた。だから面接が三人とだけで、一時間もかからず、内容自体もごく標準的だったのは、嬉しい驚きだった。クパチーノからサンフランシスコまで車で戻るあいだ、僕は面接のことを頭の中で思い返していた。うまくいったと思うけど、先走るのはやめとこう。不合格だったときに落胆したくないから。

結果は合格だった。その日のうちに電話をもらって、かなり良かったよと言ってもらった。僕がもらえる仕事は、モバイルデザイナーの契約社員というポジションだった。やった! 僕は電話を切るなり有頂天になって声をあげた。話を聞かせると、両親や家族も大興奮だった。Facebookに投稿したら、これまでに見たことないほど沢山の「いいね!」とおめでとうコメントがついた。アップルで仕事をもらったと発表したときのほうが、娘が生まれたときよりも「いいね!」がついたのだ。何年も前に「友達」になって、それから何も話をしてこなかった人からメッセージが来た。Twitterのプロフィールを変えたら、一週間前にはしなかったような人たちが急に僕をフォローしはじめた。みんなが僕のことをものすごく盛り立ててくれるので、僕は一晩飲みに出て祝うことにし、それは最高の集まりになった。僕が成し遂げたことについて、一緒に祝ってくれる人がいるというのはとても素晴らしいことだった。

仕事がはじまる日まで、夜はあまり眠れなかった。神経質になってたし、興奮もしていた。アップルから仕事をもらうことは、デザイナーとしての才能の証明になるように感じた。自分をアップルへと導いた、長く、不思議な旅のことを思った。僕は思った。「これは僕のキャリアにとってどういう意味を持つのだろう? 僕は何に取り組むんだろう? 僕はどこへと行くのだろう? 個人的にはじめたiPhoneアプリを完成させることはできるんだろうか?」たくさんの問いがあった。

そして仕事がはじまった。拘束時間と長い通勤にはすぐに辟易したが、少なくともWiFi付きのプライベートバスでサンフランシスコへ行ったり来たりする悪名高いテック企業人の一人にはなれた(特にバスには惹かれていた。なぜなら、僕はサンフランシスコで育ち、このテックブームによる文化的・経済的な変化を見てきたからだ。今や皮肉にも、街を駄目にしていると言われるテッキーの一人に僕がなったわけだ)。勤務時間に融通が効かないせいで、僕はほとんど(ほとんどというのは、全く)娘に会えなくなった。僕はまた、かなり収入を減らすことにもなったが、これほど名高い企業で働くことによる、長期的なキャリア投資をしているのだと思うことにした。入社研修はバタバタしたもので、パスワードにアカウント、ログイン名がやたらとあって、サーバーにアクセスできるようになるまで一月くらいかかった。ミーティングは一日中あり、みんなの生産性をぶち壊していたが、これほどの大企業で最高品質の製品を作るための必要悪なのだとみんなは捉えていた。こうしたことは煩わしかったけれど、長期的に考えれば大きな問題となるようものはなにもなかったと思う。

そうして僕の直接の上司(アップルではプロデューサと呼ばれる)、自分より下の人間に対して冗談めかせて個人的な侮辱をする癖のある人が、僕を直接的に、間接的に、侮辱するようになってきた。彼は、僕があれをしたり、これをしなかったりすると、契約は更新されないのだと思い出させた。彼はディルバートに出てきた上司のように、僕の背中に(文字通り)覆いかぶさって、彼が至急確認する必要があるという、ありふれたデザインの作業を完成させるようプレッシャーをかけた。彼は誰に対しても人を見下すような、下品な発言をしたが、それが僕達のチームメンバーに向けられてもいい気分はしなかった。世界で最も偉大なテック企業で働くプロフェッショナルというよりは、下らない小売店で働くティーンエイジャーのような気分だった。

耐え抜こうとしたし、明るい面を見ようともした。僕はアップルで、世界最高のデザイナーと世界最高の商品に取り組んでいるのだ。同僚たちはデザインに対して素晴らしい視点を持っていて、僕がこれまでに出会った誰よりも優秀だった。僕は、アップルがデザインの過程で細部にかける注意力が好きだった。すべての1ピクセル、スクリーン、機能、インタラクションが、熟考され、そして再考されていた。カフェでのごはんは素晴らしく、自分のiPad Airも好きだった。しかし上司からの冗談、侮辱、否定的な態度が、仕事を片付けようという僕の気持ちを乱した。立ち向かい、一線を引こうとした同僚たちは、クソみたいな結果に終わることになるようで、プロデューサのケツにキスをするような仲間グループから外された。僕は、金曜の夜の訪れを切望する人間になりつつあり、日曜の夜を恐れた。友達や家族は、アップルで働くのが実際はあまり楽しくないという話を聞きたがらなかった。彼らは「履歴書のためだけにもなるよ」とか「もっと大きな人間にならないと」とか「はじめたばかりじゃないか。まだ辞められないだろ」とか言いたがるのだ。

今朝、僕はいつもより遅く起きて、家の近くに止まるアップルのバスを乗り過した。会社までの渋滞を運転することになった。僕は毎日自分で運転する必要がないことに感謝した。しかし一方で、アップルで働くまえに時々していたように、娘を幼稚園に連れて行けたらなとも思っていた。職場につくなり会議に入った。それは問題なく終わり、自分の机と戻った。挨拶もなしに、上司が僕を小突いて、うまく冗談に仕立てた奇妙で侮辱的な言葉を投げかけてきた。僕は無視して仕事に戻ろうとして、自分の仕事にまったく集中できなくないことに気付いた。この状況をどう乗り切るかという考えに捉われすぎてしまっているのだ。もっと集中すべきなのだろうか? 契約を終わらせるべきなのだろうか? 他のチームに移ることはできるのだろうか? クパチーノで行き詰まったら、どうやって新しい仕事を見つければいいのだろう? もしかすると役立たずの上司の鼻を殴ってやるべきだったのかもしれない。いや、それはするな、ジョーダン。

それで昼食時、僕はiPadをデータを消して、取り組んできた仕事のファイルをサーバー上へ整理して、備品をすべて机に置き、自分の車に乗って家に戻った。上司には、あなたは僕の職務経歴で出会った中で最悪の上司で、アップルがどれだけ僕のレジュメを良く見てくれたとしてもあなたの下では働かない、とメッセージを残した。僕と契約していた人材会社は、僕がアップルとの関係を滅茶苦茶にした激怒して、もちろんながら会社を出ていくのはプロとしてあるまじき行為だと思っていた。僕自身、自分のしたことについてはまったく満足していないし、今回の面接まで繋げてくれたリクルーターとの長い関係をぶち壊したことにはぶざまな気持ちになった。これは、アップルで働くことにあれだけ興奮していたことを思うと、特に飲み込みがたいことだった。この決断が、これから僕を悩ませることになるのかどうかは分からないが、分かっているのは、アップルで滅茶苦茶働きたかったけど、今はそうじゃないということだ。

追記:僕は人事部に報告すべきだったと、多くの人が指摘してくれた。それが状況を改善してくれたかは議論の余地があるけれど、僕には誰か頼れる人がいるとは思えなかった。そもそも誰の下で働いているのか、不満を誰に伝えるべきなのか、僕には明確ではなかった。僕はある会社と契約していて、別の契約会社から給料を貰っていて、アップルで働いていた。書類上アップルに雇われているわけではないから、この日までアップルの人事担当とは一度も出会うことがなかった。また、すでに書いたように、僕の上司に反抗した同僚たちは、彼の仲間グループから追放されてしまうようだった。僕はそうした扱いになるのも避けたかった。それに僕は、その日その日を耐えて我慢しなければいけないのだと間違って思い込んでいた。だけど我慢の限界に達して、自分でも予想していない方法で会社を去ることになってしまったのだ。

PS. いまは新しいデザインの仕事を探している。いいものがあったら連絡して欲しい。

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