読めるユーザポリシーを作る

概要:長文で難解なユーザポリシーは、これまでサービス企業のやりたいことをユーザに押しつけるために機能していた。しかし炎上リスクを抱えるようになった今、サービス企業は分かりやすいユーザポリシーを書くことが求められる。

A Little Rancor

炎上するプライバシ問題

このところ、私たちのプライバシデータについて、企業の取り扱いかたをめぐるトラブルが相次いでいる。まずは幾つか事例を挙げよう:

  • ミログ社のAppLogは、Androidスマートフォン用のアプリに同梱され、ユーザが使うアプリの情報などを収集することで、広告配信などに活用する。ミログ社はユーザからの承諾を得て情報を収集していると説明していたが、その案内が不十分であったために批判を受け、AppLog事業を停止するに至った。
  • ソニーのゲーム用オンラインサービスPSNでは、ユーザのゲームの進行状況やハードディスクレコーダーTorneの録画傾向などが、誰からも参照できる状態にあることが問題視された。ソニーは謝罪し、利用規約を実情に沿うように改訂している。
  • Carrier IQ社は米国製スマートフォンの多くに、ユーザの位置情報や入力情報を収集するソフトウェアを導入している。Carrier IQは得られた情報を通信キャリアや端末メーカーへ提供することで、通信インフラなどの改善に役立てると説明するが、収集される情報の質量が不透明であるため、多くの反発を招いた。
  • アップルはiPhoneユーザの位置情報を、端末や同期したPC上で長期に保管していたことがセキュリティ研究者の指摘で明らかになった。アップルはこの問題は「バグ」であったと釈明し、アップデートを行った。
  • GoogleのAndroidスマートフォンでは、Androidマーケットでのアプリ購入時、ユーザの住所などがアプリ開発者へ通知される場合があると発覚した。Googleは不具合と認め、謝罪した。

まだまだ他にもあるだろうが、ひとまずはこのあたりにしておこう。それにしても、この一年ほどのあいだに、このような問題が相次いだのはなぜだろうか。

スマートフォンとソーシャルメディア

ひとつには、スマートフォンの普及が挙げられる。スマートフォンでは、GPSによって位置情報を収集したり、電話帳やメールといったユーザ個人と深く紐づいた情報が保存されたりしている。スマートフォンでは多くのアプリがウェブサービスと連携しながら動作しているため、端末で収集・保存されたプライバシ関連情報が、端末の外へどのように発信されているかを把握するのはとても難しい。このため、利用者の期待と実態にギャップが生まれ、トラブルとなることがある。実際、上記の5事例のうち、4事例はスマートフォン関係である。

もうひとつには、ソーシャルメディアの普及により、サービス提供側のユーザを軽視した態度が炎上の対象になりやすくなったことが挙げられる。サービス側から言えば「炎上リスクの拡大」である。

これまではユーザ側からの批判があったとしても、サービス側は「どのようにデータを取り扱うかはユーザポリシーに明示してあるし、ユーザはそれに同意していたのだ」と言うようなことを主張することが多かった。たしかに、難解で長文なユーザポリシーに目を通せば、曖昧な表現で「私達はあなたのデータをいかようにも利用できる」というようなことが書いてあることは多い。規約自体にミスがあるソニーのような例はむしろ稀だ。

もっとも、そのようなユーザポリシーをユーザがちゃんと目を通しているかは疑わしい。スマートフォンの小さな画面では尚更、長文のポリシーなど読ないだろう。だからといって、規約やポリシーであらかじめ断っていれば、サービス側はなにをしても良いということにはならない。たとえ裁判に勝てたとしても、ユーザから反発を受け、炎上して企業価値が下がるようでは、それは負けである。ユーザが規約を読まないのであれば、読みやすい規約にしなければならないのだ。

難解なユーザポリシーはこれまでユーザを煙にまく煙幕として機能していたかもしれない。ただ、ソーシャルメディアが力を持つ今日では、あまり有効な策と言えなくなった。ソーシャルメディアの力を誰よりも知るFacebookが、何度かの失敗を経て、ポリシーの改訂をユーザと事前に協議するようになったことが象徴的だ。

勝手ポリシーという手段

難解で曖昧なユーザポリシーはこれからもしばらく蔓延を続けるだろう。私たちのデータが、私たちの意図しない形で流通し、意図しない用途で利用される事例は今後も続くに違いない。

ならばひとつのアイデアとして、私たち自身がユーザポリシーを簡略化していくというのはどうだろうか。サービスがどのように情報を収集し、利用するか、私たち自身が見極め、整理し、共有する、Wikiのようなシステムになるだろう。情報が分かりやすく整理されれば、ユーザはうっかり不適切なポリシーのサービスを利用することがなくなる。サービス企業にとってもあとになって「こんなひどいポリシーだと思わなかった!」と言われることがなくなるので、メリットがあるはずだ。

ポリシー情報をまとめる際は「どの情報を」「なんのために」「どう扱っているか」を軸に整理することが求められる。それぞれアイコンのように絵でまとめて、ユーザ登録の際にでも「このサービスではメールアドレスを広告に利用します」(メールのアイコンと、広告に繋がるアイコン)、「このアプリでは念のためにあなたの位置情報を永続的に取得しています」(地図のアイコンと、カレンダーに無限大と描かれたアイコン)という形で表示できればベストだ。

あるいは、こうしたデータポリシーと運用についても、なんらかの監査システムを設けるべきなのかもしれない。日本では個人情報の取り扱いがとても厳しい反面、個人情報保護法の範疇にない「プライバシー」データの取り扱いについてはあまり体系的になっていないのが実情である。炎上してからでは遅いのだが。

(この記事を書きあげたところで、Googleからサービス別に分かれていたユーザポリシーを統合するという発表があった。Googleにはサービス連携で広告精度を高めるという大目標がある。しかし、分かりやすいユーザポリシーを用意し、ユーザに知らせるという動きは、文中に挙げたFacebookの例にも通じるだろう)

考えられるアイデア:

  • 文中にも挙げた、既存サービスのユーザポリシーをユーザ間で勝手に「翻訳」するシステム。アイコンなどにより、さまざまなポリシーのアウトラインを共通化し、ポリシー間の違いを明らかにできると良い。たとえば、ドコモとKDDIとソフトバンクのポリシーはどう違うか?
  • ユーザポリシーの監査、コンサルティング業務。絵や動画を使って、ポリシーを簡潔に説明できるサービスの展開も方法も考えられる。
  • いずれにせよ、企業のソーシャルメディア窓口は今後非常に重要なポジションになる。アウトソースすべきか、自社で対応するとしてどのような人材を当てるべきかは、大きな問題だ。

関連情報:

写真:JD Hancock

リアルの絆に組み込まれたネット社会

概要:2011年はインターネットのソーシャル化が進行した一年だった。それは同時にネットのリアル化であり、リアルとネットの統合が進んだということでもある。もはやインターネットは特別な場所ではなく、リアルな社会の一部でしかない。

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日本漢字能力検定協会が発表する「今年の漢字」は「絆」であった。「今年の漢字」は全国からの応募で決まるため、この一年の社会情勢全般を反映したものと言える。しかし「絆」という語は、今年のネットトレンドを総括するのにもぴったりである。

ネットのソーシャル化とリアル化

なぜ「絆」がネットトレンドを示しているのか。もちろん、ひとつにはFacebookやTwitterのようなソーシャルメディアが会員数を伸ばしていることが挙げられる。こうしたソーシャルメディアは単一サービスとして人気なだけでなく、ネット全体の基盤となりつつあり、「いいね」であったり、シェア機能であったり、友達のインポート機能であったりという形で、多くのウェブサイトと連携している。今やFacebookやTwitterの影響下にないウェブサイトはごくわずかだ。無機的であったGoogle検索でさえ、+1ボタンを備え、ソーシャル化に踏み出した。この一年は、インターネット全体が急速にソーシャル化された時期だったとも言えるだろう。

ソーシャル化とは、そこに人間関係を持ち込むということである。人間関係にはリアルなものも、バーチャルなものもある。しかし一度リアルになった人間関係はバーチャルに戻らない。ハンドルネームしか知らなかったバーチャルな仲間は、オフ会で顔を合わせると、それからはリアルな知人となる。かつてのパソコン通信や初期のインターネットでは、人間関係の多くがバーチャルに構成されていた。しかし今はFacebookやGoogleが私たちのリアル情報をどんどん引き出したおかげで、インターネット上の人間関係も次第にリアル化が進行している。

実名制のFacebookが急速に普及しつつあったとき、多くの人達がこれを「実名」と「匿名」の戦いであるかのように捉えた。しかし実際に起きていることは、リアルとネットの「統合」と「分断」の戦いである。Facebookのような実名のみの環境だけでなく、Twitterのように匿名が許される環境であっても、そこでリアルと結びついた人間関係が形成されつつあることに変わりはない。昔ほど気軽に情報発信ができなくなったという人は、実名であれ、匿名であれ、少なくないだろう。あなたが誰であるかを知る第三者がいれば、たとえ匿名であっても、あなたはインターネットにリアルな人間関係を持ち込んでいることになっているからだ。

スマートフォンとリア充

ネットのリアル化が進んだ背景に、去年からのヒット商品であるスマートフォンがある。一家で共有されることが多いPCと比べ、スマートフォンは完全に個人化された端末であり、位置情報や写真など個人と紐づけやすい情報を簡単に発信できるようになっている。iPadやAndroidタブレットも、本来は複数人での利用が想定されるべきだろうが、なぜかそうした機能を欠いている。端末が個人に属することになったため、私たちは今まで以上に個人に紐づいた情報を発信し、交流するようになった。それはTwitterがはじめ、iPhoneユーザーを中心に人気が集まったことからも伺える。

もちろん、インターネット利用者層の拡大も背景にあるだろう。たとえばリア充という語がネットで利用されるようになったのは、2005年以降と言われている[要出典]。リア充とは「リアル=実社会」で「充実している」人のことで、当初は大学生を指す言葉として使われていた。それまでのネット社会は実社会が充実していない人ばかりだった、というわけではないだろう。ただ、普通に生活をしている人が、普通にネットも利用するようになった、という意味はありそうだ。

ネット視点から見ると、ネットユーザーなのに普通の生活も送っている「リア充」ということになる。リアル視点から見れば、普通そうなのにネットにも詳しい「デジタルネイティブ」になる。たとえば初期のGREEはあからさまなSFC(慶應義塾大学・湘南藤沢キャンパス)コミュニティであった。2004年ごろの話で、ちょうど「リア充」のはしりだったかもしれない。

助け合う絆、煩わしい絆

スマートフォン、ソーシャルメディア、ユーザ層拡大、なにが原因でなにが結果なのかは判別しがたいが、いずれにせよインターネットのソーシャル化、リアル化は急速に進行した。それは良く言えば、インターネットにおいても人は孤独にならず、互いに支えあうコミュニティ・インフラが整ったということである。悪く言えば、わずらわしい人間関係がインターネットにももたらされたということである。そして良いことか悪いことかは分からないが、インターネットにおいてもリアルの人間性、人間関係が重要になったと言える。

いまのインターネットは現実社会となにも変わりがない。TwitterやFacebookでは、古くからのネット界の有名人が力を失い、「リアルの有名人」が多くのファンを集めている(「AKB48に一瞬でフォロワー数を抜かれるネットアイドルああ無残」と書いたmala氏の表現は秀逸である)。PV稼ぎに煽り記事を書くネットメディアは、売上を伸ばすために下世話な釣り広告を並べる週刊誌とそっくりだ。

だから、絆というのは、やはり今のインターネットを表すのにぴったりではないか。絆という、束縛やしがらみといった意味もある語が今年の漢字に選ばれたことには批判もある。しかし私たちは人間関係というのが、いつも有効に機能するのではなく、時に束縛やしがらみとなって悩みの種となることを知っている。いまのソーシャルメディアもまったく同じで、時に頼りになる関係であり、時に絶えがたい関係が私たちの周囲を覆っている。かつては「mixi疲れ」などと言われたものだが、今となってはなんとも呑気なものだ。人間関係は疲れるのであり、インターネットも疲れるものなのである。

考えられるアイデア:

  • リアルからもネットからも生まれる人間関係の疲労感には、解決策が強く求められているだろう。ネットで愛されるためのノウハウなどは今後ますます重要になりそうだ。
  • 殺伐としたディスコミュニケーション環境を現在のインターネットでいかに構築するかというのは、やり甲斐のあるテーマかもしれない。
  • ネットワークのバーチャル性が担保された、今の自分とはまったく切り離された仮想社会のニーズは高まりそうである。それはネットゲームがずっと担ってきた役割であり、SecondLifeが目指そうとしたものでもあり、出会い系アプリが不純にも満たそうとしているものでもある。
  • 世代によっては、もはやネットに特別なものがあるとか、バーチャルな人間関係を構築できるとかいったことを信じないかもしれない。彼らは淡々と今のネットに合わせた生活を送るのだろうか。あるいはネットから離れていくのだろうか。それとも新しいネットを考えるのだろうか。

関連情報:

写真:Joost J. Bakker

情報の過食と偏食は防げるか

概要:インターネットは情報流通の拡大と多様化に貢献した。しかし、ソーシャルメディアの流行や、ネットメディアのパーソナライズ化により、私たちの摂取する情報は無意識のうちにどんどん増加し、かつ偏りを増している。

Current MacBook Pro Setup

まずはこの猫の動画をごらんいただきたい。2008年の動画だが、私はすこし前にTwitterのタイムラインで流れてきて知った。二匹の猫がリング上でじゃれあっており、たいへん愛らしい。

最後まで視聴されただろうか? これであなたの貴重な一分間は失われてしまった。

世の中にはこのような情報がたくさんある。楽しくて、愉快で、ニヤリとしたり、クスクス笑ったりするような情報である。それは猫動画であったり、照英がなにかをしているコラージュだったり、終わりなきハッシュタグ大喜利だったりする。あるいはどこか海外でのびっくりニュースであったり、うどん県がうどん県と開きなおった話であったり、男女のすれ違いをうまく書いた小話であったり、ネタスレやクソスレや釣りスレのまとめだったりする。

もちろん、インターネットにはもっと上質な情報もある。大手のニュースメディアは、なんだかんだ言っても、良質な情報を引き続き無料で公開している。あるいはTEDのように、無料とは思えないほど素晴らしいプレゼンテーションを大量に配信しているところもある。面白くてためになるブログも沢山ある。

しかし、そもそも私たちはそうした情報を欲していたのだろうか。難しい問題だ。猫動画で癒されることも時には必要だろう。ネタスレから新しい発想を得ることもある。いまは役立たないTEDの動画でも、そこで得た情報がいつか役立つ時が来るかもしれない。それでも、流れてくる大量の情報に身を任せているだけでは、私たちの時間はどんどん失われ、知り得る情報はどんどん偏っていく。情報を食べ物と考えたとき、私たちは過食と偏食の危機に直面していると言える。なぜこうなってしまったのだろう。

ソーシャルの罠

ブログやTwitter、Facebookといったソーシャルメディアは個人に情報発信する力を与えた。おかげで私たちは、マスメディア中心に情報が流通していた時代よりも、はるかに多くの、多様な情報に触れられるようになった。問題は、私たちが多様な情報に触れようとしているかである。インターネット黎明期と異なり、私たちはもはや新しいウェブサイトを積極的に開拓したりしない。いつも見ているサイトを巡回し、Twitterのタイムラインを追うだけで時間は足りなくなってしまう。曲がり角の先ではもっと面白いことが始まっているかもしれないのに、もはや曲がり角を覗く時間が残されていないのだ。

そうすると結局、私たちは特定のマスメディアから、特定のソーシャルメディアに情報源を切り替えつつあるだけではないだろうか。私たちが得る情報は本当に多様になっているのかさえ疑わしい。新聞やテレビが大勢から中立性を問われる立場にあり、Twitterでは中立性など考えたこともないような人達が情報を発信していることを考えれば、むしろ多様性は狭まっているかもしれない。

フリーの罠

インターネットには多くの情報が無料で公開されている。しかし、Googleといえども、そうした情報を整理できていない。検索してもなかなか見つからない情報はたくさんあるし、そもそもインターネットにない情報だって大量にある。反面、日本にはたくさんの新書があって、特定分野の情報がコンパクトにまとまっている。それなのに私たちは無料の情報に慣れてしまって、なかなか情報に対価を払おうとしない。まず本屋に行けば良かった、誰か知っている人に聞けば良かった、と思うことはあっても、一度Googleと向かい合いはじめると、なかなかそこから抜けられない。結局、新書と同じレベルの情報を探すのに、平気で数時間をかけたりする。xkcdが言うところの、最低賃金以下での時間浪費である。

(もしあなたが1ドルのために9分を費やすなら、あなたは最低賃金以下で働いている)

無料であることで、情報の取捨選択に甘くなるという恐れもある。どうせ無料なのだから目を通してしまおうというわけだ。「今から一時間Wikipediaを見せ続けられる実験」に参加したいかと言われれば、普通の人は断わるだろう。それなのに、ぼんやり一時間Wikipediaを読んで時間を浪費してしまう人は少なくない。望むなら、これからの一生をYouTubeの猫動画を見て暮らすことだってできる。なにしろ無料だし、毎日どんどん増えているのだから。

パーソナライズの罠

悪いことに、ネットメディアは私たちをますますインターネット漬けにしようとしている。インターネットとの接触時間が、彼らの広告収益に直結するからだ。GoogleやFacebookは私たちの好みを理解して、ページにどのような情報を載せるべきかを判断している。それは私たちが好みそうな情報である。私たちは自分たちで意識するより前に、すでに偏った情報を入手している。イーライ・パリザーがTEDで行った『危険なインターネット上の「フィルターに囲まれた世界」』という講演は、この問題を簡潔に紹介している。

たとえば、いつも経済ニュースばかり気にしている人でも、あるとき突然、政治の動向を気にするようになるかもしれない。しかしGoogleやFacebookが「政治に関心なし」と判断してしまえば、政治のニュースはそもそもあまり表示されなくなる。私たちは自分自身を多様化する機会を失う。良薬は口に苦しというが、ネットメディアは私たちに飴を差し出し続けるのである。

ネットの力に囚われない

スマートフォンやタブレットなど、手軽に操作できる端末が普及して、私たちはますますインターネットの漬けになっている。これからもソーシャルメディアからは、あるいはパーソナライズされたネットメディアからは、楽しくて好みのフリーな情報が次々と届き続けるだろう。しかし公正で多様な情報を欲するのであれば、そうした情報と距離を置くことも必要である。ソーシャルメディアやネットメディアの速報性や拡散性がどれほど強力であるかは、私たちはもう十分に理解している。その力に、私たち自身が囚われないようにしなければならない。

考えられるアイデア:

  • 私たちは公正な情報をかつてないほど欲している。Ustreamなどでの発表会やイベントの中継が人気を集めるのは、ただライブ感が求められているだけではなく、それだけ編集を介さない、一次情報に触れたいという人達が多いということだろう。だとすれば、いかに素の情報を素で届けるか、どう素のままで要約するかが、これからのメディアに求められる機能になる。
  • 様々なメディアを比較することで公正さを導出するという方法もある。日経・朝日・読売の「あらたにす」は終了してしまうが、さらに大規模なニュース比較サービスには大きな需要があるのではないか。
  • 情報のダイエット、断食というような試みはすでに色々ある。今後はセミナーなども盛んに行われるようになるだろう。だからネットメディアは駄目なんだ、というような一方的な批判も再興するかもしれない。しかし重要なのはバランスである。LeechBlockのように、ブラウザの利用時間を制限する仕組みは、標準化されてもおかしくない。
  • 英国の高級紙The Economistは、この不況下でも売上を伸ばしているという。The Economistは週刊紙として「これだけは知っておけ」という情報を示している。今のネットメディアはあれもこれもと情報を押し付けるが、今後は節制したメディアから受け入れられるようになるかもしれない。
  • 機械的なリコメンデーションの中に意外性をどう含ませるかというのは、エージェント界隈では昔からある課題である。案外、GoogleやFacebookが「偏っていると疑われない程度には公正」に様々な情報を表示するアルゴリズムを開発してしまうのかもしれない。

関連情報:

写真:Steve Keys

    採用活動とソーシャルメディア:継続と哲学

    概要:企業が採用活動にソーシャルメディアを利用することで、企業と学生とのコミュニケーションは活発になると期待される。しかし学生と一貫したコミュニケーションを保つためには、ソーシャルメディアを流行りのものと捉えず継続的に利用するとともに、どのような採用活動を行うべきかの哲学をあらかじめ定めておく必要がある。

    Imperial Recruitment

    また新卒採用のシーズンがやってきた。多くの企業では昨期の採用活動が震災の影響で後ろ倒しとなったため、はやくも始まったという感じかもしれない。また、日本経団連は従来10月1日としていた採用活動の「解禁日」を、今年から12月へ改めたため、例年からのスケジュールをどう修正するか、苦慮している企業も多いだろう。

    今年の採用活動の特長として、ソーシャルメディアの活用が本格的にはじまりそうなことも挙げられる。10月31日付けの日経新聞には、ちょうど「就活もSNSで」という特集記事が組まれていた。すでに多くの企業がブログやTwitter、Facebookページなどを広報に利用するなか、それらを採用分野でも活用しようというのは自然な流れだろう。

    そもそも採用活動とは、企業が一方的に行うものではなく、企業と学生のあいだの対話で進められるものである。ソーシャルメディアでは双方向でのコミュニケーションが自然に行えるため、広報以上に採用活動に向いていると言えるかもしれない。ただし、ノウハウがまだ蓄積していないため、企業の戦略が求められる部分でもある。

    TwitterやFacebookを採用活動に利用するとき、なにを考えなければいけないだろうか。TwitterやFacebookを広報活動に利用するのと、まったく同じように考えるべきだろう。一つは(あらためて)双方向性、一つは継続性である。

    双方向性とは、要はソーシャルメディアを利用することで密にコミュニケーションしようということだ。イベントの情報を一方的に配信するだけなら、ソーシャルメディアを利用する必要はない。学生の生の声を受け止め、会社の生の声を伝えてこそのソーシャルメディアである。ただし、ソーシャルメディアで大勢の相手と密にコミュニケーションをとるには、かなり能力が必要であることも忘れてはならない。ソーシャルメディア発信力とでも呼ぶべきこの能力は、うまく出来る人は自然に出来るせいか、今日まだかなり過小評価されているように感じる。

    採用活動のことになると、特にソーシャルメディアやネットメディアを活用するとなると、なぜか気負って、従来のイメージとはかけ離れた情報発信を行う企業もある。業界研究に長けた昨今の学生から見れば、なんとも滑稽な感じに映るはずだ。業界にもよるが、基本的には下手に面白おかしいことを狙わず、裏表なく情報を発信すべきである。ちょっと凝ったことを言おうとしたり、相手によって言うことを変えたりすれば、すぐに炎上が待っている。

    となると、結局は企業がどのような採用活動を進めようとしているのか、選考の基準はなんなのかを、はっきり分かりやすく示す必要がある。つまり、そもそも企業がどのような人材を求めているのか、社会においてどのような存在になろうと考えているのか、その芯、哲学が必要だ。

    では、もうひとつの継続性とはなにか。広報活動でいえば、これまではテレビコマーシャル、新聞広告、キャンペーンイベント、ウェブサイトの開設など、なにかのイベントの断続的な連なりであった。採用活動もそうで、ウェブサイトの開設、説明会、試験、面接などのイベントの断続的な連なりと捉えられる。しかしソーシャルメディアでは、より細かな単位で情報を発信し、コミュニケーションを行うことができる。これが継続性である。

    双方向性と継続性は無関係ではない。学生と密にコミュニケーションを行っていれば、自然とその両方を満たすだろう。時間的に厳しいかもしれないが、学生がどのような情報を求めているのか、コミュニケーションの中から見極めたうえで、それに対応したコンテンツを整備できると完璧である。いずれにせよ、器だけソーシャルメディアで用意して、コミュニケーションもコンテンツもおざなりというのは最悪だ。学生はそこから「ソーシャルメディアという流行に乗ろうとしただけだったな」と冷たく読みとることになる。

    さらにいえば、継続性は採用活動の中で閉じるべきではない。多くの企業が広報活動により知名度を向上させることを苦労しているわりに、採用活動で得た学生とのつながりを無為にしているのは、なんとも不思議なことだ。採用活動を通じて知り合った学生たちを、企業のファンへとそのまま導くこと。これが今後の採用活動のミッションとなっていくだろう。採用Twtitterアカウントから広報Twitterアカウントへ、採用ファンページから広報ファンページへ、どのように引き継いでいくかを今の段階から考えなければいけない。そのためには、どのような結果に終わったとしても学生に一定以上の満足を与えるような選考を進めなければいけないし、そのためにはけっきょく、納得感のある、公明正大な選考過程を整備しなければいけない。

    就職氷河期と呼ばれるなか、学生はこれからしんどい毎日を送ることになる。選考のなかで、学生は企業を好きになったり、嫌いになったりするだろう。ならば、好きになってもらうにはどうすべきだろうか。ソーシャルメディアの活用は、そのことを考える良い機会になるはずだ。採用活動、企業活動のなかに、ちゃんとした哲学はあるのか、学生はソーシャルメディアを通じて読みとくようになる。企業はただ学生を優れた選ぶだけでなく、そうした見方にも応えなければいけない。

    考えられるアイデア:

    • ソーシャルメディアを利用した企業の採用活動は誰が支援するのか。人材系企業か、広告系企業か、コンサルティング企業か、それともソーシャルメディア企業自身が支援するのか。
    • 多くの企業が「ひとまずこれだけをソーシャルメディア上で実行すべき」というテンプレートを求めている。そのあとは、似たような企業ファンページが次々と生まれるだろう。横展開から生まれることを考えると同時に、差別化要素も考えたい。
    • インターンや説明会のような「リアル」と、FacebookやTwitterのような「バーチャル」のあいだに、もうひとつ中間の存在があっても良いのではないか。Ustreamで説明会、INTERVIEWSで質疑応答……ほかにはなにかないか。
    • 学生もまた、ソーシャルメディアを用いて勉強会などを企画したり、情報交換をさかんに行うだろう。そのような場へ、自然にコミットしていく方法はないだろうか。また、ソーシャルメディア上の誤った情報は、どう検知し、どう修正していくべきだろうか。

    写真:pasukaru76

    Facebookがインフラになる未来

    概要:Facebookは人間関係の情報に留まらず、人間のオンライン行動の情報の収集を続けており、我々のオンラインコミュニケーションにおけるインフラとしての地位を確立しつつある。主だったライバルが存在しない今、Facebookがインフラとなった先の未来について考えておくべきである。

    Big Brother...

    5億人が集う場所

    9月22日、Facebookが開発者イベントf8で様々な新サービスを発表するとともに、会員数が8億人を超えたことを明らかにした。1日のアクティブユーザー数は5億人に到達するそうだ。Facebookはこれまで多くの企業が試みたが、うまくいかなかったことを実現しようとしている。それは、インターネットを自分のものとすることである。

    いまやFacebookは、友達と繋がってコミュニケーションをする、ただのSNSではない。写真や動画を共有し、様々なアプリやゲームを楽しめる統合サービスプラットフォームでもない。Facebookはインターネットを股にかけた、巨大な情報インフラになりつつある。世の中にはFacebookを大好きという人も、大嫌いという人もいるだろうが、そろそろ彼らがインフラを作っているという事実について考えなければいけないのではないか。

    情報が集約される

    Facebookはユーザ規模の大きさから、よく国に例えられることがある。この例えに倣えば、Facebookは今や中国、インドの次に巨大な国だ。この比喩がどこまで適切かは議論の余地があるだろう。しかし他のウェブサービスとは異なり、Facebookに登録することは、インターネットのあらゆる場においてFacebookユーザとして振る舞うという意味を持つ。そう考えると、確かにFacebookはオンライン国家と呼ぶのに相応しい。

    たとえばニュースサイトにあるLike(イイネ!)ボタンを押すと、その行動はFacebookへ投稿される。先日発表されたRead機能の場合、ユーザが事前に設定を行っていれば、ボタンを押すまでもなくなにを読んでいるかがFacebookに伝えられる。facebook.comは言わばFacebook国の役所・広場にすぎず、Facebookユーザはほかのウェブサービスを利用していても、Facebook国民として見なされ、さまざまな行動がFacebookへ伝わる。インターネットにおける情報のやりとりが、Facebookというインフラの上でなされているのである。

    他にもユーザのオンライン行動をトラッキングするサービスはある。広告配信サービスなどがそうだ。しかし、ここまで徹底して、行動情報を集めること自身を目的としているサービスはFacebookを置いて他にないだろう。そのため、Facebookにはプライバシを懸念する批判が常に付きまとう。議論によって方針が変えられた例もある。しかし彼らが着々とインフラを構築していることには変わりがない。

    成功したセミオープン戦略

    かつてのFacebookは、リッチではあってもよくあるクローズドなコミュニケーションサービスであった。しかし、2008年にFacebookConnectが発表されたころを境に、Facebookは一気にインフラを志向するようになった。人間やコミュニケーションに関するデータをクローズドに蓄えるだけではなく、他のウェブサービスとの連携に利用するようになったのだ。今では多くのウェブサービスがFacebookの読者欲しさに、Facebookとの連携をはじめている。Facebookはその連携から、ユーザの行動情報を収集して、自分たちのコンテンツとする。コンテンツはどんどんFacebookに集約されていくので、Facebookにはさらなる会員が集まる。そしてさらに多くのサービスがFacebookとの連携を試みる……。

    WorldWideWebは原則として情報をオープンにするシステムであり、だからこそここまで成功した。2002年ごろからFriendstarやOrkutのようなSNSと呼ばれるようなクローズドなコミュニティが流行したが、これらはあくまで自分たちの殻に閉じこもるだけのサービスだった。しかし今のFacebookは、オープンとクローズドのいいところどりをした「セミオープン」戦略である。セミオープン戦略はここ数年のインターネットにおける最大の「発明」のひとつだろう。映画「ソーシャル・ネットワーク」に続編があるなら、ぜひ題材にして欲しいものだ。

    日本での戦略は

    日本でも昨年ごろからFacebookが話題となっており、ニールセン・ネットレイティングスによれば8月の利用者数は1000万を超えたそうである。この数字はいわゆる訪問者数(UU、ユニークユーザー数)であり、会員以外の人がFacebookの公開ページを訪れた数も含まれるため、実際の会員数がどれほどかは分からない。いずれにせよ個人的には、まだその程度なのかという感じがする。国産SNSのmixiは2000万会員を謳っている。8億人という世界規模を考えても、Facebookは日本で出遅れている。

    無理はない。日本にはmixiやグリーといたSNSがすでにある。Facebookのユーザ獲得に大きく貢献しているオンラインゲームも、日本ではモバゲーやグリーといったモバイルゲームが先行しているため、新鮮味はない。コミュニケーションサービスという意味ではTwitterがかわりに人気を集めている。日本のウェブサービスに慣れた目から言えば、Facebookに新鮮味を感じないのも当然だ。しかし繰り返しになるが、Facebookが目指しているのは情報のインフラである。これから少しずつでもアクティブユーザ数が増えていけば、日本においてもインフラとしてのFacebookの価値はどんどん高まっていく。どうやってFacebookからのアクセスを集めるかが他のウェブサービスにとって重要な問いになっていくだろう。

    ライバルは存在するか

    インフラとしてのFacebookにライバルはいないのだろうか。GoogleはGoogle+のもとで自社サービスのソーシャル化をはじめている。今後はGmailやカレンダー、YouTubeもGoogle+化していくはずだ。しかし、すでにGoogle+化されたPicasaが中途半端な状態にあるように、現在のサービスの形を守りながらGoogle+へ移行するのは難しい。大勢の既存ユーザが反発するのは必至で、ここにジレンマがある。

    日本では今もなお、mixiがもっともFacebookに近い存在だろう。FacebookConnectのようなmixi Connectというサービスも展開している。しかしmixiは「クローズドなSNSだから安全・安心」という切り口で多くのユーザを獲得してきたがために、Facebookのように他サービスとの連携をうまく進められていない。こうして考えるとFacebookは、ごく短期間のうちにmixiと同程度の会員規模にまで成長していくのではないか。

    ビジネスに特化したLinkedInや、位置と連動するFourSquareのように、ほかに注目すべきSNSがないわけではない。しかしそれらはインターネット全体を覆う基盤になろうなどという野望を抱いてはいない。

    未来はFacebookありきか

    私たちのネットにおける行動をFacebookが収集し、管理する。それがどういう意味を持つのか、十分な議論が進んでいないように思われる。ひとつ確実に言えるのは、この勢いでFacebookが人気を獲得すれば、遠からずFacebookのない状態には戻れない日が来るということだ。すでに戻れないという人も多いかもしれない。

    もしGoogleより優れた検索エンジンがあれば、私たちはそれほどためらいなく乗り換えるだろう。しかしGmailより優れたメールサービスがあったとして、乗り換えられない人は多いのではないだろうか。Gmailはメールのインフラだからだ。そしてFacebookが実現しようとしているのは、もっと巨大なインフラだ。そこには、私たちのコミュニケーションがあって、写真があって、人間関係があって、ニュースがあって、歴史がある。Facebookがf8で発表したサービスのひとつは、私たちの年表を作る「タイムライン」である。象徴的だ。Facebookは限りなく「私たち自身」と近付いて来ている。それは良いことなのだろうか?

    「嫌なら使うな」「面倒になったらやめればいい」という意見もあるだろう。しかしFacebookを使わなければ、友達に連絡がつかなくなるかもしれない(Facebookはメールを時代遅れにさせようとしている)。就職活動でFacebookのアカウントと「タイムライン」の提出が必須になるかもしれない。インフラになるとは、そういうことだ。Facebookで三番目に大きい国という比喩は、もはやそう無邪気なものではないかもしれない。

    考えられるアイデア:

    • Facebookがインフラになるとしたら、いまのFacebookに足りないものはなんだろうか。決済機能、オンラインストアの組み込み、行政との連携。あるいはFacebookスマートフォン(HTCはFacebookボタンのあるスマートフォンを販売している)、それからFacebookPC……。
    • Facebookがインフラになるうえで、乗り越えるべきハードルはなんだろうか。ガイド、コンサルティングの類はこれからさらに活発になるだろう。米国でFacebookは政界への働きかけを強めているが、Facebookに限らず民間ベースのITインフラと、国・政府のシステムのあいだを取り持つという役割は、今後ますます重要性を増すはずである。
    • 一方で、Facebookをインフラにしたくない人達も間違いなく存在するだろう。そうした人達は代替になんのサービスを使うのだろうか。たとえばLinkedInは、フランクなFacebookでは取り扱いづらい就職・転職といったシリアスなイベントに絞ることで成功している。Facebookのネットワークを共用したくない場、Facebookではやりたくないことができる受け皿とはなんだろうか。

    写真:85mm.ch